2016年7月16日土曜日

中田・橋爪「クルアーンを読む」15

ひさしぶりに「クルアーンを読む」のエントリーをしようと思う。南国新聞(7月14日発行)によれば、ISがインターネットの映像で、マレーシアとインドネシアに宣戦布告したらしい。少年兵やマレーシアのパスポートを焼き捨てる子供の映像が映し出されたとのこと。ナジブ首相は、テロリストはイスラム教徒ではないとバングラディシュの事件について自身のフェイスブックで訴えるとともに、ハリラヤ(ラマダン明けのお祝い)のオープンハウス(首相官邸で一般市民も参加しての食事会)でもテロとの戦いを呼びかけたという。このところ、マレーシアは、反IS一色である。

私も当然、ISのテロリズムには大反対である。マレーシアは華人やインド系の人々との平和的な共生を目指し、しかも豊かで民主的な領域国民国家とイスラムを国教とするマレー人の主体性を止揚するべく、悩み苦しみなから、大きな成果を上げてきた国だ。この3ヶ月半の間、私は大いに感じ入るところがあった。この愛するマレーシアがテロリズムに潰されたりしてはいけない、それは当然のことである。

とはいえ、ISの行動原理を知ることも必要だと思っている。ISの行動原理を日本人の中で最も知りうる人物は中田考氏である。スンニー派のイスラム法学者にして、カリフ制再興を主張する人物(したがって一応のカリフの再興を行ったISとの対話が可能である。)。批判する為にも、ISの行動原理を測る測定装置(橋爪氏の中田氏を評した表現)がいる、と考えているわけだ。

今日のエントリーはイスラムの経済の話である。中田氏は、現在のイスラミック・バンクには大いに批判的だ。イスラム法には、利子の禁止だけではなく、その他にも債務によって債務を買ってはいけない、約款をつけないなど、様々な禁止条項があるそうで、イスラミック・バンクは、無利子をクリアーしているように見せているが、他のところではクリアーしていないのだと指摘する。続いて、そもそも「法人」という概念がイスラム法に合わない、という話になる。

橋爪氏はキリスト教文明でも法人という概念が出てきたのは最近で、資本主義も主権国家も法人という概念なしには成立しないと述べ、さらに最後の審判の時、人間は個人で裁かれる。法人は生ゴミにもならないと述べる。わかりやすい例として、”麻原某や井上某は裁判で有罪になりうるが、オウム真理教という宗教法人は裁かれようがない。”というわけだ。
これに対し、中田氏は「イスラームは法があって、罰というのは最後の審判になっておりますので、法人はイスラーム法の構造自体から認められるわけがないのです。最後の審判における罰がイスラーム法の効力を担保しているわけですので、罰を受けない法人が主体として入ってくることなどありえないのです。」と述べている。
「そういうのを乗り越えて、キリスト教徒は、グローバル・ルールをつくりあげた。イスラームは不利な競争を強いられたている。グローバル経済の中ではイスラームは負け組になる。」と橋爪氏。
それに対し、中田氏は、グローバル経済はいずれ破綻し、もともと商業文明だったイスラームのバランスのとれた考え方に戻るのではないかという楽観主義を唱える。

読むと、実に深い対話で、面白いのだが、長くなりすぎるので、このエントリーはここまでとしたい。ところで今日の画像は、IBTのS副社長と先日お話している中で、「おそらく先生が持ってお読みなるのがもっとも価値的だと思われるので…。」と、無期限でお貸しいただいた(IBTの現地関係者から寄贈された)クルアーンの日本語訳である。(ウィリアムブラウン著書式作成とある。)

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