2016年7月3日日曜日

中田・橋爪「クルアーンを読む」14

 QURAN 5-33 http://myonlinequran.com/quran-images/picture.php?/622
エントリーを続けたい。さらに本の内容を飛ばすことにする。
基本的に不正な支配者であってもイスラーム教徒である以上は、明らかに不信仰を冒して確実に背教者だと言われない限り、反乱を起こしてはならないという合意がイスラーム法学者の間で成り立っていることを中田氏は述べる。それに対してISは、西欧法の法律に裁定を求めるものは背教者であるということを法学的に正当化して、反乱を合法化したことが語られる。それに対して、橋爪氏がロックの抵抗権を持ち出して、「反乱は正当か否か?」を聞いているところから。

橋爪氏「背教者である統治権力には服務義務はないということになると思いますが、彼らに対してどう振舞えばいいんですか?」中田氏「倒すしかないですね。背教者というのは、多神教徒より悪い最悪のカテゴリーになるますので、殺すしかないってことになってます。」と、クルアーン第5章33節を引く。

アッラーと彼の使徒と戦い、地上で害悪をなして回る者たちの報いは、殺されるか、磔にされるか、手足を互い違いに切断されるか、その地から追放されるかにほかならない。これが彼らへの現世での恥辱であり、彼らには来世でも大いなる懲罰がある。

この最初の地上で害悪をなして回る者とは、反乱軍ではなく、実は強盗に対する規定で、強盗団は1人でも人を殺していた場合、この全部が適応されるそうである。イスラームでは、反乱に対しては緩い(どちらが正当かを問わない。どちらも正当性があるという前提で議論し、決着がつかなかったら仕方ないので戦う。やめれば罪が消える。)が、強盗にはきつい。それで、この強盗罪の規定を使うらしい。シリアのアサドの父親時代、ムスリム同胞団を強盗罪で処刑した。ISの処刑もこれによっている。(注:ビデオなどでは)クルアーンのこの句(第5章33節)が流れるとのこと。

当然橋爪氏が異議を唱えるが、中田氏によるとISは自分たちは正当なカリフ国で、強盗団と戦っているという理解にある。少なくとも彼らの理解はそうなっている。と答える。また、異教徒の敵軍に対しては、別の法規(これがイスラーム国際法にあたるらしい)があって、基本的には成人男子は全員戦闘員として扱う。たとえば修道士や体が不自由な人とかは戦闘員から外される。女性・子供は非戦闘員扱い。ただし女性でも武器を持って戦えば戦闘員扱い。先ほどの強盗罪の適用は、あくまで、イスラム教徒同士の場合となるそうだ。

さらにヨルダンのパイロットの檻に入れて火で殺すという行為について、橋爪氏がつめよる。中田氏は、預言者ムハンマドによる「火で殺すこと」は明文の禁止がある。(注:最後の審判とのからみであると推測される。)しかし、例外規定で、相手が先に火で殺した場合、しないほうがいいけれど、同程度ならば、その報復が許されていることを述べる。ただし、それは戦っている時の話で、捕虜に対してあのような処刑を行うのは、イスラム法的には問題があるとのこと。

しかし、ISの論理を橋爪氏が説明している。「パイロットは空爆を行った。空爆行為は、ISの非戦闘員に対する火攻めである。これがまず先にある。この戦闘員は捕まったけれど、それは一味の強盗団で背教者だ。そして共同正犯である。そこでそのパイロットにも責任を追求することができるのだが、復讐法の原則によって火攻めが許されているということから推論し、報復として、檻に入れて火で殺したと。」

中田氏は、イスラーム法の推論だと捕虜に対しては許されないのがおそらく法的に正しいが「、もうこのあたりになると私も含めて完全にどちらが正しいとは言えないレベルなのです。」ということになるらしい。橋爪氏が、ヨルダンやアメリカの空爆に対する憎しみの共有が文脈にあるのでは?と言われると、それも十分にありうると答えている。

…ダッカの事件を受けて、関係するような箇所を2回に分けてエントリーしてみた。当然ながら異教徒たる私にとって、理解を超える世界であるが、理解の糸口は常に持っていたいと思う。このマレーシアにも、多くのバングラディッシュの人々が出稼ぎに来ているようだ。低賃金で働いておられる。そこに去来する思いは何か?共生をめざす地球市民ならば、その声を聴いてみたいと思うのだ。今回の不幸な事件を考えるにあたって、私はそんな思いにかられているところだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿