2012年12月19日水曜日

インド哲学を「行間」から語る

1年生の現代社会は、あいかわらず「倫理」をやっている。3学期の範囲はインド哲学から仏教へと流れていく。仏教を学ぶ上で、その基盤となるインド哲学、なかんづくウパニシャッド哲学を語ることは有為だ。輪廻思想や業思想、梵我一如などである。中でも、「我は梵なり」という宇宙との合一を説く梵我一如は重要である。この発想こそインドだ。ヨーガはその修行法の総称であり、様々なアプローチが行われている。

たとえば柳田聖山の「禅思想」という本には、路上で生き倒れになった死体をひたすら見つめ、生と死を文字どうり体感する修行の話が出てくる。あるいは、何世代にも引き継がれていく「ただただ右手を上に挙げておく」という修行。私の滑らない話シリーズの1つである「人間は空を飛べるか?」という話。自分を獣と同一化するクンダリ二―・ヨーガの修行の話である。私はインド哲学の話が好き。昔々、妻が交通事故にあって、直前で中止になったインド行きだが、その分息子が旅してくれた。もう体力的にインドを旅する力は残っていない。行っていないからこそ、様々な本の行間を語れるということもある。インドにはそういう神秘的な魅力がある。

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