2012年12月16日日曜日

坂野潤治先生の「日本近代史」

ずっと書きそびれているエントリーがある。書評である。坂野潤治先生の「日本近代史」(ちくま新書/本年3月10日発行)を読んだのだが、この「膨大なページ数の新書(450Pほどある:フツーの新書2~3冊分)」の書評をどう書くか迷っているうちにだいぶ経ってしまった。

帯には『週刊東洋経済政治書2012年ベスト1のほか、朝日・読売・日経・毎日絶賛』の文字が並んでいる。なるほどという一冊だった。とはいえ先日書評を書いた鄧小平の話といっしょで、この本も幕末・維新史、明治近代史等の知識がなければ到底読めない。幸い、幕末維新史については私の知識は十分だったようで第3章くらいまでは、スラスラ読めるのであった。今日はまずこの部分について書評を書いておくことにしたい。

大学時代、日本資本主義論争という古めかしい議論を学んだ。社会思想史だったと思う。要するに明治維新と言うのは、絶対主義革命か市民革命かという議論である。アナ・ボルの理論など私にとっては、どっちでもいいような話なのだが、この視点自体は面白いと思う。

坂野先生は、西郷のことを非常にかっておられる。島津斉彬の秘書として、各大名を支える人材(特に雄藩の下級武士出身の有能な人材群)のネットワークを構築したことに対してである。たしかに幕末維新期における大名間の葛藤と、それに仕えるというか、大名を動かしていたというかそういう家臣群との二重権力構造的なものが、政治を動かしたという視点がすこぶる面白い。
大政奉還云々の時点(薩土盟約など)では、政治権力のあるべき姿として二院制が語られていたという。有力大名たちの上院、その家臣たちの下院というシステムだが、やがてこの下院構想は、「軍事」、武力討幕とへと昇華することになる。

事実上の権力を臣下が得る為には軍事を握る必要があり、大政奉還という平和的な解決では臣下が実権を握れない。大久保や岩倉が、徳川慶喜の養護に動いた山内容堂をどやしつけたのは、まさに軍事で家臣団が権力を握ることになるかならないかの(市民革命の)天王山でもあったのだ。西郷によって組織された下級武士などを能力次第で重用した有力大名の家臣団を「市民」として捉えるなら、明治維新はまさしく市民革命と呼ぶにふさわしい。同時に天皇は、「玉」として彼らに利用された権力維持装置であるという話になる。

この家臣団がやがて藩閥政府、超然内閣と発展していくのだが、今日はここまで。毎日新聞が「今年この3冊」の特集をしている。私自身の今年の一冊も決めなければならない。うーん。

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