2012年12月2日日曜日

ドゥルーズを「巨人の星」で語る

権力ピラミッドのコードそのものである。
明日は、期末考査の前日である。1年生の現代社会(事実上は倫理)の今回の範囲は、現代哲学(マルクス、生の哲学、実存主義)と構造主義(ソシュール、フロイドを含んでレヴィ=ストロース)、そしてポスト構造主義である。明日は2クラスで最後のポスト構造主義を教える。1年生に倫理を教えるのは初めてなので、『できるだけ平易に』を心がけているのだが、フーコー、ドゥルーズ、デリダと難解な哲学者がラインナップしている。(笑)

1年生だし、この辺になると、どうしてもきちっとした論理より感覚を教えることになる。ドゥルーズは脱コード化を言った哲学者である。前任校ではモダンのコードに登場するメビウスの帯のような「クラインの壺」なんかに強く興味をもってくれた。だが本校の1年生にはかなりつらい。これまでの2クラスでは、軽く流した。それより、パラノ・スキゾという生き方について重点的に語ることにした。

パラノと言えば、私などの年代では「巨人の星」であり「あしたのジョー」なのである。

最近の高校生は「巨人の星」というマンガの存在は知っているが、どんなストーリーだとかは知らない。無理矢理、子供の頃の飛雄馬が壁の穴にボールを投げる話や、大リーグボール1号・2号・3号の話などをする。生徒は「?」という顔をしている。(笑)うーむ。パラノは流行らない。

最近の漫画はあまり知らない。私は「タッチ」などというスキゾな野球漫画は認めない。高校野球をベースにしていることが間違いだ。(笑)思いこんだら試練の道をパラノに歩まねばならない。(笑)生徒は何となく私の熱弁にパラノとスキゾの違いを感覚で解ってくれているようだ。

そういえば、高校生活もスキゾになった。最近の生徒は音楽プレイヤーが好きだ。プレイヤーも安くなったし、性能もよくなったので、それぞれ好きな曲を聞いている。私たちの頃は、ギター1本あれば、みんなで歌ったものだ。レコードを貸しあい、テープに録音して共通の音楽を作っていた。修学旅行では「歌集」が作られ、みんなで歌ったものだ。『岬めぐり』なんて、修学旅行用につくられた曲ではないかと思ったりする。今は、バスにカラオケの設備があり、好きな曲を歌う感じ。(前回のHR合宿では、それでも数人でマイクを回して歌う曲も多かったが…。)全くバラバラではないが、リゾーム化はやはり進んでいると私は思っている。

そんな話をドゥルーズの時にするのである。パラノからスキゾへ。善悪を別にして、時代の流れは確かにそうだ。

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