2011年2月24日木曜日

ニュージーランド人牧師の言

 ニュージーランドの地震のニュースが続いていて痛たたましい。特に、国際協力のために、スキルアップしに留学していた看護師さんの話など、心が痛む。さて、昨日の投稿への、哲平さんと中村君へコメントの返答を書いていいて、ふっと、ある言葉がよぎったのである。

 「もし、北朝鮮に自由に入れるようになれば、私はすぐに行きたい。神の教えを説くのだ。」

 これは、私がNYCを訪れた後、ソウル経由の便で帰国する際のソウル空港で、偶然横に座ったニュージーランド人牧師との会話の最後に彼の口から出た言葉である。
 私は、トランジットの時間つぶしに、NY滞在の記録ノートの空白に、様々なチケット(エンパイアステートビルやユダヤ博物館など)をスティック糊で貼っていた。(こういう文具を私は海外旅行で持ち歩いていた。最近ハサミが使えないのでやめたが…。)彼は、横からそれを眺めていて、ふと目があったのだ。彼は、「あなたは、ニューヨークへ行ってきたのか。」と聞いてきた。「ええ。ユダヤ教を見てきた。NYはジューヨークだからね。」と私は答えた。すると彼は意外な言葉を発した。「ユダヤ教は間違っている!イエスを救世主だと信じていない。」
 「…。」ここで、彼は、自分が教会(英国国教会/アングリカン/聖公会、いろいろな言い方があるが…。)の牧師であり、日本とニュージランドを常に行ったり来たりしていると自己紹介した。日本では教会で英会話も教えているそうで、「ダカラ、ニホンゴ、スコシ、ハナセマス。」(笑)

 そこから2時間近く彼と、英語と日本語のちゃんぽん会話が成立したのである。(英語だけなら、2時間は絶対無理だ!)話は、彼のユダヤ教批判から始まったが、私は、ユダヤ・キリスト・イスラム3宗教の神が同一なのに、なぜにいがみ合うのか、また殺し合うのかを問うた。また、十戒の『汝殺すなかれ』が何故6番目なのかと批判した。仏教徒から見た、一神教の最大の問題点である。彼は、英語と日本語を駆使しつつ弁明し、最後にはヨハネ福音書を引き、「神は、殺人や戦争を否定してはいない。」と述べた。「そら、あかんやろ。」と言うと、「あなたのブッダという神は、殺人を否定するのか。」と聞いてきたので、「ブッダは、法を悟った人間であり、神ではない。大乗仏教ではあなたの中にもブッダがあると説いている。」などという、完全に平行線の宗教談義をしていたのだった。

 長い宗教談義の後、彼は「日本人は間違っている。彼らはオカネを信仰している。それを、東南アジアの人々も追随している。」と述べた。「特に若者はひどい。彼らは幸せについて深く考えていない。」とも言った。私は、これについては同感だと述べて、握手したのだが、最後に彼が、冒頭のコトバを吐いたのである。私は、宗教的な立場こそ違うけれど、感動した。彼の言は毅然かつ断固としたものだったのだ。

 もういちど、彼の言を引く。「もし、北朝鮮に自由に入れるようになれば、私はすぐに行きたい。神の教えを説くのだ。」

 人間の幸福とは何か。立場こそ違え、彼のコトバに考えされるのである。
 彼が、今回の地震の被害に遭っていないことを、他の多くの行方不明となっている人々の生存とともに祈りたい。

2 件のコメント:

  1. タイには仏教があります。ほとんどのタイ人は仏教を信じています。そして、日本人より幸せそうであるし、自分の置かれている状況を受け入れているように見えます。

    日本にはほとんど神秘的なものを信じる精神が希薄です。そのため、自分が置かれている状況を受け入れらず、結果として拝金思考につながっていると思います。

    私は大学生活で政治と向き合いましたが、政治は分配しかできません。幸福、愛、正義について語るには宗教というフィルターを通す必要があるように思います。

    それもタイ人に学んだことです。

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  2. 哲平さんへ
    幸福になるためにオカネが必要なのは言うまでもありませんが、宗教的信仰がそれ以上に必要だと私も思っています。経済的な幸福と精神的な幸福は、車の両輪のような存在だと思います。タイの人々はその辺うまく調和がとれているのだと思います。
     NZの牧師との対話は、彼の宗教者としての使命感でもありますが、そう言い切れる彼の精神に敬服しました。私は、一神教の研究を多少していますが、批判的です。が、それ以上に、彼を一個の人間として尊敬するものです。

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