2011年2月8日火曜日

マラウイの放屁禁止法案と国技

マラウイの新国旗 いつの間にか変わった
昨日だったか、WEBでマラウイのこんなニュースを見つけて以来、ずっとあることを考えていた。
『アフリカ南東部マラウイの国会で今週、公共の場所でのおならを禁止する法案の審議が始まる。6日までに、AFP通信が伝えた。ビング・ワ・ムタリカ大統領(76)率いる現政権の重要人物であるジョージ・チャポンダ法相(68)は地元ラジオ局の番組に出演し、「民主化された16年前から、人々はどこでも自由におならをして良いと考えるようになった」と指摘。「政府には社会の品位を保つ権利がある」と説明している。法案が可決されれば、おならは軽犯罪になるという。(産経ニュース2011.2.7 10:50 )』

 面白可笑しく話題にする気はない。要するに、マラウイの良き伝統を守れと、この法相は言っているのである。民主化=伝統の破壊だという簡単な構造ではないだろうが、アフリカをウォッチングしている一人として、やはり気なる問題である。

 さて、本題。このところマスコミが、「国技・大相撲」の八百長問題で騒いでいる。調べてみた。大相撲=国技なのか、法的にはなんともはっきりしない。玉虫色。極めて日本的である。広く国技と認められているといっても、法律で規定されているわけではない。
 私は、考えれば考えるほど、みんな、結局大相撲協会に、どうして欲しいのだろうと思ってしまうのである。大相撲は某女子柔道・金メダリストの議員が言うように、スポーツなのか?年6回の場所という名の”興行”で、弁当や酒を手に楽しむのである。柔道は、今やJUDOになっている。会場でそんなことしたらあかんやろうと思う。プロの力士で構成される大相撲は、一般のスポーツとは少し違うと私は思うのである。
 某都知事は、「何をいまさら。」と言っているようだ。私はこの人のことを好きではないが、今回は同意見である。以前、東西の控えを行き来することを禁止したのはなぜか。私は、大相撲に八百長(というより星の貸し借り)があったのは事実だと思う。これこそ多くの人々が秘かに思っていたことではないかと思うのだ。集団主義の日本で、苦しんでいる仲間がいる。あと一歩で勝ち越しだ。お互いさまではないか。助けてやろう。その行為(好意)はいつしか返ってくる。…極めて、極めて日本的な価値観ではないか。この心情を私は理解できる。これは形而上の問題である。それをメールという方法で、さらに”20万返してほしい”などという形而下な問題に落としめた、新聞報道された馬鹿者の罪は認める。そんな重要なことが解らない者は解雇されてしかるべしである。
 だが、純日本的な心情で”星の貸し借り”をした力士も、全て形而下の罪を認めるべきなのか。大相撲はスポーツだとは言い難い。それを”スポーツ”という”マスコミ的正義”で追求した場合、大相撲は解散するしかないではないか。着地点の見えない、ヒステリックな報道はやめてほしいもんだ。
 
 マラウイの放屁禁止法案を笑うなかれ。我々は、”星の貸し借り”という日本的行為(好意)を、近代化とう名の啓蒙的理性で禁止しようとしているのではないか。
 
 もし、反駁があれば、リアクションだけでなく、是非ともコメントして下さい。

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