2010年10月29日金曜日

第二の革命・廃藩置県を語る

 このところ、日本史Bでは、廃藩置県のことをやっている。廃藩置県は第二の革命と言うほど日本の近代化にとって重要な事件である。受験に関係ない日本史Bとしては、大いにこだわりたい。戊辰戦争は、そもそも、薩長土の藩兵が官軍の中心になって行われた。戦争が終わると、各藩兵は故郷へ帰ってしまう。あたりまえのような話だが、ここが凄い。東京の新政府には、国家権力の基盤が無に等しくなったのである。しかも新政府の財政は、旧幕府直轄領からの年貢米のみ。それも凄い。生徒に質問する。「新政府としては、かなりヤバイ状況だ。どうすればいいと思うかね?」いろいろな意見が出た。その中でも皆が驚いたのが、「藩に分れているから、内乱の危険があり、まずいと思います。藩をつぶしてしまうべきです。それから軍隊を改めて作ったらいいと思います。」他の生徒から思わずため息がもれた。なんという暴論!という感じだ。しかし、これが正解だったのである。「そう、それが、廃藩置県の意味だ。」と私が言うと、中学の歴史で、曲がりなりにも「廃藩置県」という重要語句を知っている生徒たちは、思わず机を叩き、「へぇ~」ボタンを押したのだった。
 この廃藩置県、新政府の権力掌握上避けられない過程であり、木戸孝允や大久保、そして後に陸軍の中心者となる山縣有朋などが同時進行で思索していたようだった。しかし、社会の基盤である藩をつぶすのである。彼らだけでは到底できない。薩摩に引っ込んでいた西郷の人望に頼るしかなかったのである。西郷の説得には、山縣があたった。山縣も命がけである。西郷が断った時は刺し違える覚悟だったという。このあたり、明治の政治家の気骨というか、サムライなのである。(山縣は最下層の奴さんの出自だが…。)対する西郷も、山縣の説く意味がわかった時点で、死を覚悟したらしい。薩摩の久光を説得する為には死を決してあたらねばならない。この辺が凄い。やくざ映画どころではない。一国の生き死にに関わる問題である。<今日の画像は、山縣有朋にしたかった。ところが若いころの山縣の画像がない。そこで、銅像探索日誌というHPからお借りした。左が山縣、中央は木戸、右は伊藤。萩市の道の駅にある銅像だそうである。>
 廃藩置県は、一気に進んだ。いろんな本を読んだが、日本と言う国に流れていた植民地化への危機意識と、和をもって尊しとなすと言う集団主義を基盤にすでに国民国家となっていた故であろう。一滴の血も流されなかったのは世界史上の奇跡であると私は思う。まさに第二次大戦の終了時を彷彿とさせる。日本とは不思議な国である。
 ところで、この廃藩置県で、人口の6%強の武士が一気に失業した。録にしたがって退職金らしきものは支払われたのだが、悲惨な話である。面白いのは、学校に行くことで生き延びようとした武士が多かったということだ。この学びへの信仰のような姿勢こそ、近代日本の礎ではないかという気もする。中国・朝鮮のような科挙のための学びではない。イギリスの貴族階級のような階級意識に支えられたエリートとしての学びでもない、中間管理職を大量に排出するプラグマティックな学びであったところが面白い。この辺、趣がアメリカのプロテスタンティズムに似ていて妙である。

2 件のコメント:

  1. 人類学者のレヴィ=ストロース曰く、日本には使命としての労働観があるようです。祖先の財産を減らさずに子孫に伝えるために働く、労働を通じて集団に参加する、というのが使命としての労働です。エリートしての学びでもなく、科挙のための学びでもなく、プラグマティックな学びを重視したことが、この使命としての労働観に支えられている気がします。

    今週は忙しく、まとめ読みさせてもらいました。地球市民の平和学、素晴らしいです。理論も重要ですが、平和は実践するものだと思います。

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  2. 増金さん、コメントありがとうございます。世界から日本を見ると言う視点をこれからも大事にしていきたいと思います。

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