2020年7月23日木曜日

日本国憲法第一条の謎(3)

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日本国憲法第一条は、天皇について書かれてある。中学生の頃、それが不思議だった。何故なら天皇は全く身近な存在ではなかったからだ。なぜ、国民主権ではないのだろう?
一昨日から、この話をエントリーしている。いよいよ、何故第一条が天皇なのか?の私なりの結論を記したいと思う。

WWⅡは、まずイタリア、さらにナチスドイツが降伏した。その後、日本では国連と呼ばれる”United Nation”が事実上成立。(1945年6月)直訳すれば”連合国”である。余談になるが、日本は、ドイツ降伏後も多くの国(エクアドル・パラグアイ・ベネズエラ・ウルグアイ・トルコ・エジプト・シリア・レバノン・サウジアラビア・アルゼンチン・チリ、そしてイタリア)から宣戦布告された。これらの国の宣戦布告は、勝ち組である連合国=国連に加盟するための政治的措置といえるだろう。
そして、ナチの蛮行を糾弾するための政治的な裁判が行われることになる。1945年11月に開廷したニュルンベルグ裁判である。この流れの中で、8月にポツダム宣言を受け入れた日本でも1946年5月3日から東京裁判(極東国際軍事裁判)が行われる。戦争犯罪人は、A級・B級・C級に分かれるが、ここで問題にするべきは、A級である。国家の指導者層の戦争犯罪を追及するものだ。様々な論があり、純粋に法学的に見ればおかしい話が多い。ともかく、連合国は戦犯を指名し、裁判にかけることにしたのだ。裁判長はオーストラリアのウェッブ。検察官のリーダーはアメリカのキーナン。

さて、日本の占領政策をまかされたのは、周知のとおりマッカーサーである。マッカーサーは日本(厚木)に到着し、ジープに乗り、沿道の日本人を見下しながら進んだのだが、これを警備したのは日本軍であった。これはかなりのリスクを伴う話だと思うのだが、天皇の軍隊(誤解のないように注記すると、軍人訓で軍人自体が少なくともそう信じていたわけで、天皇が自分の私軍だと考えていたわけではないと思う。)は、車列に背を向けて3万もの兵士が立っていた。マッカーサーの天皇理解のプロローグである。

マッカーサーは天皇の生殺与奪を握っていたのだが、彼の元を訪れた天皇の人格に大きな尊敬の念を抱く。恐怖で人々を押さえつける独裁者ではない。日本人が天皇を慕っている理由を理解し、その利用価値をアメリカ人らしくプラグマティックに見抜いたのである。ちょうどその頃、東京裁判では、ウェッブが天皇の戦争責任を追及し始め、ソ連などがそれを支援していた。マッカーサーはキーナンを呼び、天皇制の存続を認める意思を示した。そこから、アメリカの天皇の戦争責任回避工作が始まる。

その中で重視されたのが日本国憲法の草案作成である。日本人の様々な草案は、国体護持=天皇主権から脱皮できないものばかりで、マッカーサーはGHQの民政局に草案作成を急がせる。民政局は、ニューディーラーが多く、社会主義的な立場をも許容する人が多かった。よって、日本国憲法の社会権・勤労権などに色濃く影響を残している。最大の問題は、天皇主権であった。日本人の憲法草案は、その「国体」(日本という国は天皇そのものであり、切り離すことはできない)というスタンスが貫かれていた。国民主権に転換するにしても、まず天皇を象徴=君臨すれども統治せず(日本国憲法には国家元首に関する規定すらない。)以下の存在に祭り上げることが、最重要課題であったのである。憲法で天皇を象徴にしてしまえば、戦争犯罪云々は消え去ってしまうからだ。

このGHQの憲法草案を最初に見たのは当時外相だった吉田茂であったようだ。草案は当然英語である。在英大使だった吉田にとって、それは問題はなかったが、臣茂(天皇の臣下である吉田茂)と記したような保守派であった彼にとっては驚愕の内容であっただろう。その現場(吉田の私邸)に、B29爆撃機が飛来し、超低空で通過する。これを拒否することはできないという暗示・威嚇である。アメリカと言う国は、こういう工作・演出が平気でできる国だ。その後、日本語翻訳や修正で様々な対立もあるが、日本国憲法はとにかくも公布、施行された。

この日本国憲法が公布されたのが1946年11月3日。(施行は翌1947年5月3日、東京裁判開廷の1年後)東京裁判の立証段階の中盤にあたる。結審は、憲法公布の366日後の1948年11月4日である。天皇の戦争犯罪云々への危惧は、東京裁判から消え去ったわけだ。この東京裁判における天皇の戦争犯罪忌避が日本国憲法の成立に大きな影響を与えているわけだ。第一条が天皇になっているのは当然である。

ちなみに、この東京裁判で絞首刑が言い渡されたA級戦犯7人は、1948年12月23日午前0時から執行されている。現上皇陛下の15歳の誕生日である。昭和天皇に皇太子の誕生日を祝う際にA級戦犯の事を思い起こさせ、戦争責任を彼らが背負って死んだと言うことを思い起こさせるためだったという猪瀬直樹の論に私も賛成である。重ねて記しておくが、アメリカは、(善悪や好悪を排除した上で)そういう工作・演出が大好きな国であると思う。

日本国憲法 第一条 天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

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