2020年7月20日月曜日

第二の周恩来はいないのか。3

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周恩来は、私が尊敬する中国人の一人である。評伝も何冊か読んだ。毛沢東は、たしかに英雄だが、ファザコンで好色で、実にとんでもない男なのだ。そんな彼の右腕として実にうまく現実的な実務で中華人民共和国を支えた。建国当時、ある工事現場で自ら人民と共に汗を流したことが語られている。これは儒教の伝統からは考えられないことである。序列を重視する中国で、首相自らが工事現場で汗を流すなど考えられないことである。死の直前にも、中国で最も優秀な医師団に、「私以上にあなたがたを必要としているところに行きなさい。」と述べたという。「人民第一」を貫いた歴史上でも有数の宰相であったと言える。

中国の人民もそれをよく知っている。天安門事件といえば、鄧小平が民主化を踏みにじった事件だと思われているが、これは第二次天安門事件であって、第一次天安門事件は、周恩来の死を悼む人々の花輪を北京当局が撤去、これに抗議する人々が暴力的に鎮圧された事件である。
文化大革命の失敗、林彪の墜落死の革後、四人組の台頭等を背景に起こったこの事件は、結局周恩来が再び要職につけた鄧小平が責任を押し付けられ失脚、人民は毛沢東と四人組に対し怒ったが、この後すぐに毛が死去、後ろ盾を失った四人組が華国鋒によって失脚させられることになる。その後、鄧小平が復活していくのである。

歴史に「if」はないけれど、もし毛沢東より、周恩来が長生きしていたらと思う。文化大革命は確かに毛沢東の権力闘争であり、中国の発展を阻害した災害であったが、純粋に青年たちが、平等を最大の価値とする社会主義の理念に忠実に生きようとした一面がある。その文革の失敗後、周恩来が生きていたら、中国をどう立て直していったのだろう。鄧小平のような、金持になれるものは先に金持ちになれというスタンスをとっただろうか?

北京大学の図書館助手出身で海外経験のない毛沢東とは違い、周恩来は鄧小平と同じく元フランス留学生である。2人とも第一次世界大戦後のフランス、もっと言えばベルサイユ条約でアジア・アフリカ諸国の権利を全く無視されたフランスで、ホー・チ・ミンらと共に共産主義に出会った筋金入りの革命家である。周恩来なら、ある程度の修正主義を入れながらも社会主義における平等の正義を守ったように私は思う。

何度も書いているが、私は左翼ではないし、右翼でもない。そんな中間派の私でも、今の中国共産党は、共産党を名乗るのが不自然であると思っている。周恩来の様な人民第一の姿勢が全くない。アメリカが共産党員の在米の資産凍結をアナウンスしただけで大騒ぎだ。まさに汚職にまみれたノーメンクラツーラの独裁政権に過ぎない。

「第二の周恩来はいないのか?」私のこのコメントは三度目になる。故事に習えば、三度諫めても変わらなければ、もう何も言うことはない。

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