2020年3月8日日曜日

「坂の上の雲」の話をしようⅠ

司馬遼の作品は幕末・維新ものはだいたい読んだ。小説であるから事実は違うし、新聞の連載だったものも多いので、次回も読みたくなるようにエンターテーメント性を断続的に強めてある気がする。私は、幕末維新をよく知りたい教え子には司馬遼は是非読んで欲しいと思っている。単純に面白いからだ。ただ、司馬遼の人物観・歴史観には強烈な個性がある。これが真実だと信じるのは危険である。歴史は社会科学なので様々な視点から見ることが重要だと私は常々言ってきた。これを是正するために大佛次郎の「天皇の世紀」や山岡荘八などと読み比べる必要がある。
たとえば、徳川慶喜については、鳥羽伏見の戦いから江戸に逃げ帰ったことについては、司馬遼はボロクソだが、山岡荘八は好意的に書いている。私は徳川家康から天皇家を護るという伝統をもつ水戸藩の出身者として、たとえ偽物でも「錦の御旗」を掲げた相手と闘い、朝敵になることは耐えられなかったのだろうし、幕府陸軍にフランスを迎え、薩長にイギリスがついている以上、英仏の代理戦争を避けたという意味では英傑であると思う。司馬遼を読んだだけでは、こういう視点は持てない。

さて、「坂の上の雲」である。この作品は、司馬遼の幕末維新ものでは、時代的には最後尾にあたる。陸海軍の英雄・秋山兄弟と俳人・正岡子規という3人の主人公を設定し、日露戦争を最大のヤマとして描いている。どちらかというと、弟の秋山真之と親友の正岡子規のつながりの話が多く、兄の秋山好古は第三の主人公扱いである。さらに言えば、真の主人公は秋山真之である。彼こそが、日本海海戦の勝利を導いた英雄として描かれている。東郷平八郎以上に、参謀で戦略を練った秋山真之に功績があるように描いているからだ。一方、兄・好古は陸軍騎兵隊の父のような人物で功績は大きいが、騎兵は偵察が主なので、いきおい小説での陸軍の話は、旅順後略時の乃木希典の無能さと児玉源太郎の有能さが、かなり強調されている。乃木の総参謀長だった伊地知幸介などボロクソである。

たしかに他の本を読んでも、児玉源太郎は有能で実に魅力的な人物である。長州閥だが支藩出身で、乃木より出世が遅かった。西南戦争では熊本鎮台(城)を戦略上の理由から参謀だった彼が焼いたおかげで護りきれたという説もある。戦略家として優れていたのだ。日清戦争後の復員・防疫任務、ならびに台湾総督としては、後藤新平をうまく使い大きな成果を生んでいる。
旅順のロシア艦隊を封鎖するための乃木の第三軍の戦いこそが、後の日本海海戦の勝利を左右したので、「坂の上の雲」でも特に詳しく描かれている。(ちょっと長い。)小説の中では、真之が強く望んだ203高地からの砲撃を児玉が実行させたという話になっている。プロレスのタッグ戦風でいうと、ベビーフェイスが秋山直之と児玉源太郎、ヒールが乃木希典と伊地知幸介という感じである。これには、様々な論がある。特に、児玉と乃木のどちらが功労者なのかわからない。司馬遼の読み方には、こういう確認作業が必須なのである。

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