2020年3月7日土曜日

坂の上の雲ミュージアム

「坂の上の雲ミュージアム」は松山城と県庁に近い松山の中心街にある
松山に久しぶりに出てきた。目的は2つ。私が前々から行きたかった「坂の上の雲ミュージアム」と妻の希望の「業務スーパー」での買い出しである。後者についてはともかく、「坂の上の雲ミュージアム」についてエントリーしておきたい。

私は最近、博物館や美術館に行く前にあまり下調べをしないようにしている。ネットの普及で詳しい情報を得てしまうと面白味が薄まるからである。どんなミュージアムなのか予想していくのが面白い。
特に、「坂の上の雲ミュージアム」は、司馬遼の1つの作品に特化したミュージアムである。秋山好古、秋山真之そして正岡子規という松山出身の人物像を紹介したものであることは明確だった。「坂の上の雲」を読んでいないとあまり面白くはないだろうと思う。また以前NHKで放送されたドラマも私は全部見た。「坂の上の雲」については、せっかくなので後日エントリーしてみようかな、と思う。
新聞に連載された坂の上の雲のスロープは圧巻
意外だったのは、年表を見ていて、秋山真之も正岡子規も高橋是清に英語を学んでいたことである。こういう発見が面白い。また、このミュージアムは意外に子供も退屈しないような配慮をしていた。明治時代の”覗きからくり”や”双六”も楽しめたし、騎馬隊だった好古に関係して、日本の軍馬の鞍の高さを実感する展示などもあった。

松山の中くらいの下級武士の家に生まれ、松山藩は佐幕派で維新で冷や飯を食わされる。そういう貧困の中から、自らの努力で立ち上がり、仰げば尊しの歌詞の如く「身を立て名をあげ」たのがこの3人である。正岡子規は日本新聞の記者として、俳人として名をあげた。秋山兄弟はまさにこの歌詞通りである。”真面目愛媛”の先人であるから、彼らは実に尊敬されているわけだ。
愛松亭の跡にある漱石珈琲店
さて、帰りに夏目漱石の下宿(愛松亭)跡にある喫茶店に寄って夫婦でコーヒーを楽しんだ。テーブルの上にあった「漱石と子規の友情と文学」にこんなことが書いてあった。漱石は、正岡子規と親交が深く、松山中学で教える以前に子規の家に遊びに来たことがあり「もぶり鮓(ずし)」をふるまわれ、きれいに平らげた。この縁で山口中学ではなく、松山中学に来たらしい。ところで、この松山中学での漱石の給料は八十円(地元新聞にそう書かれてある)で、当時唯一の帝国大学卒の学士の称号の威力はすごかったらしい。校長の給料は六十円だったという。ちなみに漱石28歳である。

…こういう知的な刺激が、実に楽しい。

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