2016年10月24日月曜日

内田樹 生前退位について

https://www.youtube.com/watch?v=ge2tN6vH_7U
WEBで内田樹氏の研究室を久しぶりに見た。例の大阪府警の差別発言問題について何か書かれていないかな、と思ったのだ。内田樹氏の意見は、常に触発されるところが大だからである。残念ながらこの件については、ブログでは掲載されていなかったが、天皇陛下の生前退位についての論が実に示唆に富んでいた。少し私的なニュアンスを加味して紹介したい。

参議院選挙を終えて、改憲論議が高まる中での陛下のお言葉を、各国メディアは「首相に改憲を思いとどまるようにとのシグナルを送った。」との解釈した。内田氏も常識的な解釈だと同意を示している。現在の日本の公人で憲法尊重擁護義務を天皇ほど遵守されている方はいない。

自民党の改憲草案第1条では、天皇は象徴ではなく、日本国の元首となっている。また国事行為に対して「内閣の助言(現行)」から「内閣の進言(草案)」に変化している。内閣の承認がなくとも、国会の解散や招集が可能になるような解釈の余地を残すものであると、内田氏は指摘。まさしく戦前の上奏を行い、超憲法的な権威を揮う仕組みをつくろうとしているのではないか、というわけである。天皇は、全身全霊をもって平和旅を実践してこられた。これは「日本国の象徴としての行為」を果たすべきだという「新しい象徴天皇像」を示されており、これは、「威光だけを政治利用」されることへの「否(ノン)」の意思表示であると、内田氏は主張する。

2014年の「主権回復・国際社会復帰記念する式典」で、陛下の退場時、首相をはじめとする国会議員たちが予定になかった「天皇陛下万歳」と三唱したことに、怪訝な表情を浮かべられた。「天皇陛下万歳」という呪文を功利的に利用しようという下心を感じ取られたのではないか、というわけだ。

…この後、さらに内田氏の考察は続くのだけれど割愛する。私は少なくとも陛下の「象徴天皇としてのお立場」を強く支持したい。権力の構造の一装置としての天皇制には「否(ノン)」を唱えたいと思う。なんだか、EJUが終わったら、マレーシアの生徒たちにフーコー(今日の画像)を講じようかなと思ったのであった。

内田樹の研究室 http://blog.tatsuru.com/2016/09/10_0832.php

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