2016年3月3日木曜日

日経 「白河以北一山百文」

日経の文化面に、「影法師」という結成40年を迎えたフォークソング・グループの話が載っていた。メンバーは入れ替わっても山形県を拠点に東北人の思いを歌にしてきたという。91年、「白河以北一山百文」という曲をつくった。東北自動車道が完成し、首都圏のゴミが東北に押し寄せた。故郷は単なるゴミ捨て場なのか。そんな憤りを訴えた。タイトルは戊辰戦争の時、官軍の兵士が言ったとされる言葉に由来する。白河の関以北の土地は、一山百文の価値しかないという意味だ。流入するゴミは、その頃から続く中央と東北の関係を表しているように感じた。声を上げなければ変わらない。
そして、2011年3月11日、東北を震災が襲った。「影法師」のリーダー青木文雄氏は、濁流が宮城や岩手の田畑、家、車を容赦なく飲み込んでいくのを呆然とテレビで見ていた。翌日、福島の原発事故が起こった。また東北が苦しみを背負うのかー。「白河以北一山百文」をつくったときと同じ憤りと無力感が襲ったという。と、いうのも、以前(震災の10年前)テレビで「白河以北一山百文」を歌う機会があったのだが、局側に3番は歌わないでくださいと言われた。3番の歌詞は「原発みたいな/危ないものは/全てこっちに/押し付けといて」(実際には方言で歌う:標準語訳)とあったのである。あの時、素直に3番を歌わなかったが、なぜ自分たちの思いをきちんと歌わなかったのかと、事故が現実になり悔いたのだ、という。

もう一度歌いたい。しかし直接の被災者でない私たちにその資格があるのか。被災者を余計苦しめないか。悩みに悩んだ末に13年6月に完成したのが「花は咲けども」という曲である。歌う前に現場を見ておかなくてはならないと、福島県浪江町を訪ねた。そして山形県に避難している福島の人々の前で歌った。批判も覚悟したが、涙とともに「これは私たちの歌だ。」という言葉だった。他の歌手も歌ってくれるようになり、英語版も生まれた。この歌を携え農閑期の冬には、全国を回っている、という話である。

…実際にYoutubeで聞いてみた。こういう骨のあるフォーク・ソングは久しい。特に、「花は咲けども」は、「花は咲く」のアンサーソングになっている。いわゆる綺麗な合唱曲になっている「花は咲く」と対比して聞くべきだと思う。

 「白河以北一山百文」
https://www.youtube.com/watch?v=3YjrXCtUhv4
 「花は咲けども」
https://www.youtube.com/watch?v=5Vd8owCwSTM

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