2016年3月16日水曜日

大阪市教員を退職します

本日、36年間の長きにわたって勤めてきた大阪市教育委員会に退職願を書きました。先週には思いもよらなかったことです。ことの発端は、先週の土曜日の朝、2年後のためにシャレで申し込んだ私立学校の求人情報でおもしろそうな募集要項を見つけたことです。マレーシアにある日本語学校の社会の常勤講師募集。入試の仕事から戻ってから、詳しく調べてみました。

募集している学校は、クアラルンプールの日本人会ビルにそもそもあった日本人学校が手狭になって移転したあと、マレーシア政府がここに日本語学校を設立して欲しいと日本の文部科学省に要請。T大学系の日本語学校が選ばれ、海外における唯一の文部科学省認定の日本語学校となったという、由緒正しい日本語学校。

「社会」というのは、日本の文系大学(国公立・私学共通)に留学するために必要な試験の「総合科目」のことでした。センター試験より少し易しいかなという程度で4択中心の200点満点の試験です。問題は地理や歴史、政治経済など全ての社会科を網羅しています。WEBで過去問をやってみたところ、私でも十分対応できると思いました。学校では90分1コマの授業。教えるイメージは浮かびました。これなら問題ない。

マレーシアには行ったことはありませんが、開発教育をやってきた私としては、途上国の人材育成に関われる意義深い仕事だと思いました。ウズベキスタンに行っているM先生(13日のブログ参照)のマレーシア版という感覚でした。

翌日13日(日)、志望理由をA4・2枚にまとめ、履歴書を作成してメールしました。ただ、大きな杞憂があったのです。15日(火)に、大阪市の高校間で転勤が内示され、校内の人事も動くのです。私もこれに十分巻き込まれる可能性がありました。それで、志望書にその旨を記したところ、すぐにメールが届きました。14日(月)の19:00から、SKYPEで面接を行いたいとの連絡でした。いそいでSKYPEを設定しました。(14日のブログ参照)そして、面接。途中でPCが不調になるというアクシデントもありましたが、有意義な面接を受けれたと思います。

あらためて志望動機を聞かれました。当然です。私は、つまるところ、新たな挑戦をしたい旨を訴えました。私の教え子諸君はよく知っていますが、「理想に生きることをやめたとき青春は終わる」というのが私の座右の銘です。このまま理想に生きることを諦めたくない、そんな気持ちを伝えました。マレーシアの生徒たちに社会科を日本語で教える。そこから志望する日本の大学に送り、地球市民として持続可能な開発のための人材を輩出する。未知なる世界が私の眼前に出現したわけです。

様々な質問をしていただきましたが、好印象をもっていただけたようで、給与の面でも大いに優遇していただくことになりました。十二分だと思います。65歳までマレーシアの教育法では勤務可能とのことでした。

さらにありがたいことに、15日の朝、さっそく採用のメールを携帯にいただきました。私と本校人事のために極めて迅速に動いていただき、関係者の皆様に深く感謝しています。と、いうわけで、日本語学校採用を受け、大阪市教育委員会に退職願を書いたわけです。

たった3日で私の人生は大きく変わりました。多文化共生のマレーシア、クアラルンプール。新たな挑戦の地に4月早々に向かうことになりました。

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