2016年3月1日火曜日

アフリカの風に吹かれてⅡ

ザンビアの難民キャンプ https://www.daily-mail.co.zm/?p=12218
スーパーチューズデー、そして本校の卒業式と入試の合格発表の日、あえてそれらに触れず、先日(2月26日)のエントリーの続きを書きたい。「アフリカの風に吹かれて~途上国支援の泣き笑いの日々」(藤沢伸子著/原書房:12年7月20日発行)から、印象深い箇所をピックアップする。今日はザンビア編から。

ザンビアは昔からアフリカの難民や亡命者の避難所みたいなトコロで、南アのアパルトヘイト時代、ANCのメンバーもザンビアにおり、彼らを狙った空爆も何回かあったと言う。ザンビアには73もの民族が存在するが、特筆すべきは、他国で見られるような民族間の紛争が独立以後も一切なかった、平和な国であり続けたことである。平和で政情が安定していたからこそ、周辺国の難民の受け皿となってきた。「難民に寛容な国」なのである。

初代大統領カウンダは、一種の汎アフリカ主義者で、他国の政治家や白人政権と戦う反政府勢力の指導者などの受け入れに熱心であったことも大きい。モザンビークの独立運動を先導した初代サモラ・マシェル大統領や現在は悪名高いジンバブエのムガベ大統領も一時期匿われていた。

国際社会で「難民に寛容な国」と良き評価を受けても、一般市民には何のメリットもない。爆弾を落とされた地区の住民たちは当然大きなリスクを感じていた。基本的に平和な国民性だから難民排斥運動は起こらなかったが、不満は高まっていた。90年代後半、ルワンダやコンゴ民主共和国から大量の難民が流入し、28万人を超えた。そこで、難民の都市滞在許可証として電子IDカードが導入される。本来、難民はUNDHRなどが運営する難民キャンプに滞在するべきである、というのが、経済的に低迷していたザンビアの本音である。ザンビアもまた貧しい。だから、IDカードをもたない難民キャンプからの脱走者は、入国管理局によって捕まえられ、非人道的な拘置所に入れられるのだという。

その拘置所での話。雑居房の狭いスペースの中で皆が自由に寝ることはかなわない。囚人は揃って横向きに寝ていた。その姿勢で長時間経つとやがて片方の肩や腰が痛くなる。そのうちに囚人たちの間で暗黙のルールが出来て、誰かが手を叩いて合図をし、皆が一斉に向きを右から左へ、左から右へと変えるようになる。そうすることによって、何とか皆が休息を取ろうとしたのだという。

著者は、難民男性が面白おかしく話してくれたので笑い転げたらしい。とはいえ、かなり過酷な状況であったことは間違いない。

…今日は、花粉が凄い。私は一気に重症に陥ってしまった。もう100回くらい鼻水をかんでいる。鼻が詰まって無呼吸症候群がひどくなるのは間違いない。きっと妻の合図で、私も右、左と寝る体制を変えることになりそうだ。

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