2016年3月31日木曜日

「其微衷ヲ憐ミ継紹ノ人」へ。

この3日間で、なんとか準備ができた。結局、教材以外の本は、スティグリッツの入門経済学しか持っていけないことになった。うーん、と唸ってしまう。(笑)

今日は、私にとって大阪市の教員退職の日である。やはり吉田松陰の遺書「留魂録」第八節を挙げて(5年前のエントリーの再録のようになるが)H高校の教え子たちにも伝えたいと思う。

『若シ同志ノ士其微衷ヲ憐ミ継紹ノ人アラハ乃チ後来ノ種子未タ絶ヘズ自ラ禾稼ノ有年ニ恥サルナリ同志其是ヲ考思セヨ』
もし同志の諸君の中に、私のささやかな真心を憐れみ、それを受け継いでやろうという人がいるなら、それはまかれた種子が絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じで、収穫のあった年に恥じないことになるであろう。同志諸君よ、このことをよく考えて欲しい。

この吉田松陰の言葉を贈って、私は前任校からH高校に転勤してきた。(2011年3月17日付ブログ参照)またこうも書いている。

9年間の四季で私が花を咲かせ、実を十分つけたと思う。ユネスコスクールという大きな実を作ることはできなかったけれど、私の担任した学年を中心に、数多くの花を咲かせてきた。きっと素晴らしい、さまざまな栗の実をつけるに違いない。ありがたいことに、本当にありがたいことに、私には「其 微衷ヲ憐ミ継紹ノ人」がいる。こんな幸せなことがあろうか。」
「転勤先は、体育科や武道科もあるH高校になった。ここで私が何をできるのかわからないが、卒業にあたっていつも私が記す『理想に生きることをやめた時、青春は終わる』を胸に、定年の時、同じような手紙をもらえるよう、新たなESD実践の四季をつくっていきたい。

実際には定年ではなく早期退職になったが、理想的なクラスづくりを1年から3年まで続けることができたし、H高校でも「其 微衷ヲ憐ミ継紹ノ人」を育てることができたと思っている。それがなにより嬉しい。教員志望者はもちろんのこと、どんな進路であろうと「責任ある行動」を旨に、地球市民として自分の考えで行動できる人材をイベントやESDで育ててきたつもりだ。有り難いことに、多くの卒業生に見送りをしてもらい、メールや電話ももらった。ほんと、これが最初からの運命だったのかもしれない、と思えるのだ。定年で終わらず、早期退職してまで新たな挑戦へのスタートを切ることが、卒業生への私の最後のメッセージになったかもしれない。

追記1:明日KLへ出発します。WEBの状況等で、ブログがエントリーできないかもしれません。気長にお待ちください。
追記2:前任校の卒業生から先ほど送別のアルバムが届きました。それぞれ、妻になったり、新たな職業についたり、夢を実現したり…。間違いなく「其微衷ヲ憐ミ継紹ノ人」です。その思いが溢れていました。私も感謝と涙が溢れました。ありがとう。行ってきます。
追記3:あにまるずへ。メキシコのN君にGメール送りました。携帯がすべて無になったので、私のGメールアドレスを確認してください。

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