2026年1月28日水曜日

理気二元論についての質問

https://note.com/eytn_1a5zb7x/n/n45b7ffe2ed8f
正教会の修道士が、神の光を見ることを目指して修行に励んだことを、このブログに記していたら、世界史の受験生から、宋代の朱子学・理気二元論の質問が来た。東方の仏教や道教そして儒教の中で、同様の宇宙の真理と合一したいというスタンスは、正教会の修道士と趣を一にしているわけで、まさに奇遇である。本日はこの事について考察してみようと思う。

仏教における「仏陀」は宇宙の真理を悟った人間である。神ではない。佛教の定義に、仏陀になるための教えというのがある。大乗仏教では、出家者は自らも仏陀になることを目指すとともに在家をも仏陀にしようとするが故に「大乗」(バスのような大きな乗り物)なのである。中観における空の思想、唯識における人間の意識・無意識の分析、如来蔵による仏陀になる因が(唯識の最下層にある阿頼耶識に)に内在するといった大乗仏教の哲学が基盤となって、「一切衆生悉有仏性」(全ての人間には、仏陀になる因が内在している)という法理となった。仏教の理想は、仏陀になること=宇宙の真理を会得することである。

道教は、中国の民間信仰と仏教が混じり合ったもので、神仙思想を生んだ。仙人は道教における仏陀のような存在である。現実主義的願望・不老不死を体現しているところが中国らしいといえば中国らしい。

さて、朱子学はこういった仏教・道教の影響化で、理気二元論に到達する。本来儒学は、哲学的考察をもった倫理である。理は、形而上的な宇宙の真理であるので、様々に言語化されている。気は形而下的な存在であるので、これまた様々に言語化されている。朱子学における理は、四書五経から導かれるので、人間に当てはめると「道徳的な正しさ」と言うのが最も妥当だろう。この理を体得するために、居敬窮理がある。居敬は、ストア派のアパティアに近い、魂の平静である。窮理は、理を学問的(=四書五経)に追求することである。

こうしてみると、仏教・道教・朱子学、それぞれ相違点があるものの、宇宙の真理への渇望という共通点が見られる。「東方」の正教会の修道士との関連が実に興味深い。

私は、授業では、日本の江戸幕府の官学となった林家の「上下定分の理」で説明することが多い。(朱子学は宋代では結局主流にはならなかったが後世では科挙にも使われ、東アジアに伝播した。)この理気二元論/上下定分の理から導かれた、武士は武士らしく、農民は農民らしく、コンビニの店員はコンビニの店員らしく、高校生は高校生らしく、といった職業的立場的プロフェッショナルを目指す姿勢・理念こそが、日本の価値観の中で、最も顕著かつ有益に働いていると考えている。

受験生の質問に、最後にドジャーズの大谷投手の話で答えた。大谷投手は、まさに居敬窮理の象徴的存在である。その前提として、東北の岩手出身であることも大きいように思える。東北の人は粘り強い=メンタルが強い。(昔々、商業高校の修学旅行で、東北を訪れた時のバスガイドさんは凄かった。生徒たちは眠りこけているのに、車中ガイドをひたすら続けていた。厳しい風土の中で培われたものだと感心した。)平常心を失わず、常に謙虚に野球と、仲間・対戦相手や観客に向き合う姿は、まさに居敬である。さらに極めて練習熱心で、データの分析にも熱心な姿は窮理としか言いようがない。大谷選手本人が、理気二元論・朱子学の徒であるとは思わないが、自然に東北出身という風土的なものも合わせて、日本人の良さを見事に体現しているように思うのである。

2026年1月27日火曜日

オーソドックスの教材研究Ⅳ

https://navicup.com/object/israel-grand-tour/mount-tabor-360822/jp
『東方キリスト教の世界』(森安達也著)の備忘録的なエントリー第4回目。正教会における修道士と神秘主義について、さらに記述を追う。

修道士の修行の段階としての苦行(アセティシズム)と神秘主義(ミスティシズム)の正確な定義。苦行は、故人の努力による修行形態でいわば「獲得された」徳である。しかし目的ではなく、あくまで手段である。この点が(ヒンドゥー教の)ヨーガやディクル(イスラムの神の名や祈りの言葉を繰り返し唱える)との違いである。一方、キリスト教の修道生活における神秘主義とは、聖霊の賜物が人間の努力に打ち勝っている状態をいう。魂が受動的になった状態である。

古代哲学からキリスト教神学に取り入れられた基本的な命題は、あらゆる認識は感覚の「経験」をもとにして成立するということで、神の認識も例外ではない。ところが、神は感覚・経験の外にあるので認識し得ないものである。このような不可知論は、正教会の神学の基本的な立場ではあるものの、人間には絶対的に認識しえない神に終わっては、キリスト教が宗教として成立できない。さらに汎神論に陥る可能性がある。

キリスト教にとって、神は被造物の認識を超越した絶対神であると同時に、自己を現し行動する人格神でもある。この二律背反を認めるところに、キリスト教の存在意義がある。この問題は、西方では神の恩寵と人間の自由意志の矛盾というカタチで現れたが、東方では、その点は問題にならなかった。神が自己を現すとは、父と子と聖霊の聖三者として現れたことである。”ロゴスの受肉”はまさにそのことであって、神が人となられた以上は、人が神になる可能性もあるのではないか、と東方の修道士たちは考えたのである。旧約聖書はキリスト予言の書であり、新約聖書は主の臨在を告げるものである。全てのキリスト教徒は洗礼の際にその保証を得る。これが救いの神秘である、したがって、キリスト教徒であれば、この神秘(=神の賜物)に預かれるはずだが、修道士は(修行を積んでいるので)超自然的な霊的・神秘主義的なものにあずかれやすいのは当然ということになる。

…ここは、極めて重要な記述だと思う。”ロゴスの受肉”とはイエスの存在を意味する。ヨハネの福音書の冒頭”はじめにロゴスありき”に繋がるのではないかと推測できる。

神秘主義者の修道士が目標とする神化は、神の姿を見ることである。具体的には神の「非創造の光」を内的に知覚することである。教父たちによれば、キリストがタボル山(イスラエル北部の山:画像参照)の頂上で変容を遂げた際に、キリストを包んだ光で、ペテロやヤコブなどの弟子も目にしたもの。(この出来事はマタイ福音書の17章に描かれるが、山の名は示されない。)

…ここも重要な記述である。正教会の修道士の目指す、神になること=神の姿/具体的には「非創造の光」を内的に知覚することであること、この伝統は正教会に今も息づいているようである。

2026年1月26日月曜日

オーソドックスの教材研究Ⅲ

https://item.rakuten.co.jp/froms-shop/cube5/
『東方キリスト教の世界』(森安達也著)の備忘録的なエントリーの続編。正教会における重要な視点の1つであると思われる神秘主義について。

前回のエントリーで、ビザンツ帝国では「皇帝教皇主義」下の政治的理由で、修道士が総主教になっていく過程が明かされたのだが、この修道士は、パイディア(ギリシャ哲学的教養)を軽視した。厳しい修行と禁欲生活を身に課して、彼らが求めた自己完成とは、限りなく神に近づくことであったので、パイディアは信仰の妨げと映ったのである。異端とされた単性論の影響は東方では根強く、キリストの神性を重視し、共住する修道院より隠修士の方が高度な修行形態であるという認識も強かった。テオドロス(イコンを養護した首都の修道院長)は、こういう状況(独善的・異端的になる恐れ)を危惧していたのだが、神秘主義(へシュカスモス:静寂主義)のシュメオンは「神の光に照らされると聖なる人は完全に聖霊とともに燃焼し、その中で自己の神格化の神秘を予期しうる。」と言った。この神秘主義の是非は、14世紀には大きな論争を生んだ。結局、この神秘思想はビザンツ教会の正統の教えとして認めらることになったのである。

…「東方」は、カトリックの西ヨーロッパとは大きく異なる点がある。それは、アジアの様々な宗教との関わりである。この神秘主義は、ユダヤ教のカバラ(画像参照)、イスラムのスーフィズム、ヒンドゥーのヨーガ、仏教の禅など、神あるいは宇宙の法・仏性との合一といった面がある。この影響を東方正教会は受けたといえるだろう。極めて重要な特徴であると思われる。

2026年1月25日日曜日

米国 反グローバリズムの鐘3

https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/tbs/world/tbs-2419184
 1月9日・10日に「米国 反グローバリズムの鐘」というエントリーをしたが、ついにトランプ大統領の国際戦略が姿を表した。戦後80年間の国際秩序が大転換しつつある。少し間が空いたがこのタイミングで、3回目のエントリーをしようと思う。

ニュースソースは、https://www.youtube.com/watch?v=Bps1H573N_Qである。このチャンネルの内容はは、アメリカ政治を中心にかなり信憑性が高い。

トランプ大統領は、ダボス会議に史上最大規模の使節団を引き連れ参加した。このダボス会議で、『平和評議会』の署名式典が、1月23日に行われた。昨年9月のガザ和平案で提唱され、国連安保理でも設立が支持された国際組織で、委員長はトランプ大統領本人、アメリカ陸軍将校が率いる「国際安定化部隊」も創設されるというもの。要するに、国連に代わる国際紛争の解決と安定のための国際機関である。

60カ国に招待状が送られたのだが、この発足式典に参加したのは、ハンガリー・ニルがリア・アルメニア・アゼルバイジャン・サウジ・UAE・バーレーン・モロッコ・ヨルダン・トルコ・ウズベキスタン・カザフスタン・パキスタン・モンゴル・パラグアイ・アルゼンチン・インドネシアの19カ国。(ロシア・ベラルーシ・イスラエルは式典に参加していないが参加したのでは?という話がある。)

意外な顔ぶれである。というより先進国が少ない。イギリスはロシアが参加を許さずNG、ウクライナはロシアとベラルーシの参加を許さずNG、フランスとノルウェーは国連の代替との懸念、イタリアは憲法上の問題でNG、カナダは、グリーンランド問題で親中国・反トランプが鮮明でNG。日本や中国、アイルランドは様子見。

これまでの国際秩序では、国連には、国連軍(国連憲章第7条に規定された安保理の決議による派遣軍:朝鮮戦争時に、ソ連が欠席、中国は台湾だったので成立したのが唯一。)とPKO(平和維持活動)がある。それ以外に、安保理決議に基づいた参加国の自由意志・責任・費用負担に基づく多国籍軍(湾岸戦争、東ティモール、コソボ紛争等)があったのだが、今回の『平和評議会』は”国連安保理とは連動しない多国軍組織”と見るべきかも知れない。ただ、拒否権を持つアメリカにとって国連・安保理離脱はリスクが大きいので、現状そこまでは踏み込んでいない。

国連の機能不全を補うというより、アメリカ中心に、実行力ある武力行使を行い、国連の自然消滅を目指したものと伺う向きもある。たしかに、今の国連は口は出すが、実行力が伴わない。トランプ共和党から見ればカネだけ取られて何の価値も利益も生まない組織に見えるのだろう。ところで私の懸念。1993年のソマリア・モガディシュの戦闘以来、アメリカのママたちの反対によって、米軍は特に利害のない地域での地上戦を避けてきた。この世論をどう克服するのだろう。

ところで、前回エントリーした様々な国連・非国連の国際組織からの脱退は、アメリカのプラグマティズムから見て、上記同様、何の価値も利益も生まない組織と映っているようだ。特にSDGsの目玉である環境問題に対しては、現状ヨーロッパが主導(成功しているとは言い難いが…。)しており、遅れを取ったアメリカ共和党筋は熱心ではない。よって、UNDESA/国連経済社会局(SDGsの推進を担当する国連事務局の中枢部門) からの脱退は、その意思の明確な表明と見るべきである。

一方で、MDGs以来の途上国への国際協力に対しても関連国際組織から離脱している。これは、おそらくUSAID(アメリカ国際開発庁)の公金の無駄使いから派生していると思われる。たしかに、アジア・アフリカの独裁国家だけでなく多くの途上国の汚職指数は高く、アフリカウォッチャーの私から見ても、デモクレイジーを助長しているわけで、理解できないことはない。

また『平和評議会』の式典と同日に、1年越しでWHOから離脱した。(WHOはまだ25年度のカネがどうのこうのと言っているようだが…)コロナ禍の時に表面化したWHOの親中国路線とグローバリストの策略・W(民主党絡みのアメリカの製薬会社は、なぜあんなに早くWを製造できて、さらに多くの被害をもたらしたのか、未だ不明である。)の問題など、トランプ大統領のWHOへの不信感は極めて大きい。日本も同様に離脱してもいいのではないかと思う。

トランプ政権は、自由貿易体制に高関税政策で立ち向かい、経済制裁を行うという反グローバリズムの実施に加えて、外交・政治・軍事分野でも、明確な反グローバリズムを打ち出したといえるだろう。今回の一連のアメリカの動きについて、理解できるところもあり、理解できないところもある、というのが正直なところである。

2026年1月23日金曜日

オーソドックスの教材研究Ⅱ

https://khabarovsk-channel.com/news/latest/mass
今回、オーソドックスの教材研究を進めようとしている理由は、佐藤優氏の『哲学入門』で、プロテスタントの神学生にもオーソドックスの教義の研究の重要性を説いていたこと、また別の著作の中でで佐藤優氏は、「オーソドックスはヨハネの福音書を重視している」という指摘をしており、その理由を探ることにある。

本日のエントリーは、『東方キリスト教の世界』(森安達也著)の備忘録的な内容である。前回記したように、森安氏は西洋史学者でもあるので、膨大な歴史的知識をこの書に詰め込んでいる。その中で、興味深い内容をピックアップしたい。

東方キリスト教会の典礼(公的な祈祷のこと)でミサが代表的であるが、ルカ福音書の22-19にある最後の晩餐時の「わたしの記憶のために」から聖餐が生まれた。キリスト教徒は、聖霊の働きによって、パンとぶどう酒がキリストの体と血に変わると信じ、秘儀としておこなうので、当然信者しか参加できない。一方でユダヤ教の安息日に会堂で聖書を朗読する習慣にならい、自分たちの聖典の奉読をミサの前半部に取り入れた。これは、信者以外も参加可能とされた。前半部が終わると信者以外には退席を促す。この退席を促す言葉のラテン語(Ite,missaest:行け退散なり)がミサの語源である。

ビザンツ帝国においてはギリシア語が、ローマにおいてはラテン語が用いられていたが、奇妙なことに4世紀頃から、東方ではラテン語の忘却、西方ではギリシア語の忘却が、ほぼ時期を同じくして起こった。これは考えてみれば奇妙な現象である。

ビザンツ帝国では、皇帝は正教会の総主教を選出する母体であった。総じて総主教の権威はローマ教皇に対して見掛け倒しであった。(…この記述は、現在のロシア正教における国家権力と聖職者の関係にも繋がる。)やがて、このような状況に対して、修道院は批判生勢力として台頭する。彼らは、一般に妻帯を認められていた司祭に対し、主教となるには独身でなかればならないと主張、本来なら世俗を離れた修道士が司祭以上の高位聖職者になっていく。皇帝としても、無害な修道士にまかせることを良しとした。

と、本日はここまで。まだまだ付箋がついている。(笑)

2026年1月22日木曜日

オーソドックスの教材研究Ⅰ

学院の図書館で、オーソドックス(東方正教会/ギリシア正教会等)の教材研究のため、3冊学術書を借りてきた。かなりの量の関係書籍の中から、目次やまえがき・あとがきで選んだのは、森安達也著『東方キリスト教の世界』、カリストス・ウェア著・松島雄一訳の『正教の道 キリスト教正統の信仰と生き方』、そして落合仁司著『ギリシア正教 無限の神』である。

森安達也氏は、東京外国語大のロシア語卒、東大の院で西洋古典学を学びワルシャワ大・東洋学研究所をヘて、東大の教養学部教授。スラブ中心の西洋史学・キリスト教史が専門。東大の教養学部の教授。

カリストス・ウェア氏は、イギリスのオックスフォード大出身。英国国教会から正教会に転じ、修道士となり、イギリスの正教会大主教の補佐となった人物。訳者の松島雄一氏は、早稲田大の文学部・政経学部卒業後、一般企業勤務をへて東京正教神学院で学び、大阪針トリス教会の司祭から長司祭に昇叙した人物。

落合仁司氏は、東大の経済学部から博士課程をヘて、現在は同志社大経済学部教授。専門は宗教学・数理神学・東方キリスト教学である。

それぞれ特徴があるので、まずは、3冊の中で最もオーソドックスそうな『東方キリスト教の世界』を読んでいる。著者は、西洋史学者・キリスト教史学者であるので、極めて詳細なビザンチン帝国の話が続いているので、その辺は斜め読みしながら読んでいる。とはいえ、だんだん付箋が増えていくのであった。(笑)

2026年1月21日水曜日

外国語学部専攻語アドバイス

https://www.google.com/search?q=
共通テストが終わり、もうすぐバンザイ・システム(予備校による全国的な資料を元に合格率を出すシステム:昔A評価だとバンザイのマークが付いたので業界ではこの名がある。)が出てくる。昨日、特進コースの生徒から、某国立大学の外国語学部の専攻語選択について、アドバイスを求められた。

中国語・デンマーク語・アラビア語・モンゴル語・フランス語・トルコ語・フィリピン語・スペイン語・ロシア語・ベトナム語・ドイツ語・ヒンディー語・ウルドゥー語・アラビア語・朝鮮語・英語・ペルシャ語・インドネシア語・イタリア語・スワヒリ語・タイ語・ポルトガル語・ハンガリー語・ビルマ語・スウェーデン語の中から1つ選ぶことになる。昔M高校時代にもよくアドバイスをした。この言語に全て志望順位を付けなければならないらしい。

私のアドバイスのポイントは、1:成績結果次第であること。ヨーロッパ言語は比較的上位の成績が必要で人気が高い。アジア・アフリカの言語は人気が低く、比較的下位になっている。ただ、マイナーな言語は日本語対応の辞書がない場合が多く、英語版辞書で学ぶことになるので、英語の学力がさらに身につく。2:各言語の文字が、アルファベット(ダイアクリティカルマークのあるものも含む)か、それ以外か。学ぶうえで文字の違いは大きい。3:文法的にSVOCか、日本語同様、Vが最後に来るのか。これも大きい。

成績のことはとりあえず無視して、上記の言語をアドバイス・ポイントの2・3で4分類してみることを勧めた。アルファベットにこだわるか、SVOにこだわるかである。一応自分でも分類してみた。

アルファベット&SVO:デンマーク語・フランス語・フィリピン(タガログ)語・スペイン語・ベトナム語・ドイツ語・英語・インドネシア語・イタリア語・スワヒリ語・ポルトガル語・スウェーデン語

アルファベット&非SVO:トルコ語・ハンガリー(マジャール)語

非アルファベット&SVO:ロシア語・タイ語・中国語(中国語の文字は簡体字化している)・アラビア語(基本はVSOだが、SVOも非常によくつかわれるらしいので、ここに分類)

非アルファベット&非SVOC:ヒンディー語・ウルドゥー語・朝鮮語・ペルシア語・ビルマ語

アジア・アフリカ諸国の言語には、旧宗主国の語彙が混じってくることも伝えておいた。結局、本人が何に重点を置くかが大切だと思う。この分類以外にも、その言語を使う国の魅力なども加味されるだろうと思う。ちなみに私のおすすめは、英語やマレーシア語同様、アルファベットでダイアクリティカルマークがない、ケニア・ウガンダ・タンザニアで使われる”スワヒリ語”である。(笑)