2021年5月25日火曜日

評伝 KATABIRANOTSUJI Ⅷ

今、思うとよくぞ私のわがままを聞いていただけたものだと思う。私曰く、「ブレストが必要です。」ブレストとは、有線の通信装置で、これをつけている人間同士が同時に通話することが出来るものである。(画像参照)上手二階の私(D)と舞台袖(上手・下手のAD)、放送部(音響)(照明)の5人分を日本橋の電気街で購入してきてもらった。それを、E科の先生が、電気工事士の免許を取った生徒とともに猫走り(舞台上部にある移動できる細い通路)に上り、発電機を取り付け、5人の配線工事をしていただいた。(この工事は、その後の文化祭前の恒例行事となる。)

つまり、かなり専門的なスタンスで全校イベントを企画・運営していたのだ。シナリオもかなり本格的であった。セリフや舞台の動き、音響(カットアウトか、フェードアウトか、フェードインかアウトかなどが詳細に記入されていた。)、照明などが一目でわかるようになっていた。これは、プロのイベント屋さんに教えてもらった書き方である。

歌番組は、毎回違う演出で開催した。「ベスト・テン」風や「家族そろって歌合戦」風など、毎回カタチを変え、先生方や生徒の代表に登場してもらい盛り上がった。照明も新しい舞台なので、N市民会館よりは劣るが、ボーダーライトは当然、ローホリもアッパーホリ(ホリゾントライトは背景の色を変えることが出来る)もあったし、サスペンションライトもいろいろ動かして設定できたのだ。第1回目の歌番組のラストは、退職間近のD科の先生が、暗転の中、サスペンションライトで上から照らされて登場、ちょっと高めの椅子に足を組みながら、河島英五を歌い、最後は(猫走りから)花吹雪が落ちるといった演出もした。割れんばかりの拍手がいつまでも体育館に流れた。

第1回目のイベントで、多くの先生方の支持を得た。ありがたいことに、新しい体育館の舞台の能力を最大限引き出すとともに、生徒(特に舞台担当の文化祭実行委員)のいいものを作ろうという頑張り、それにプラスして先生方の魅力も最大限引き出したとの評価を得たからだと思う。

でかいフライパン(高さ4mくらい)をベニヤ板で作り、その横で昔の学食のメニューをつくるという「ごちそう様」風の番組も作った。様々なSE(効果音)を駆使した。ブライパンを叩くとゴーン。空の鍋に、コロモ付のクジラ肉をOBの先生が入れるとジュ―。これらは私が舞台の動き見つめ、ブレストを通じて放送部に「3…2…1…キュー」と合図をする。これを放送部の生徒がたたく(音響が準備したテープを回す)のである。見事に決まった、という感じだ。まさに生のTV番組を作っていたのだ。

「I工(世界)まるごとハウマッチ」の時、「ずっと回る地球儀が欲しいですね。」と言うと、M科の授業で溶接を指導し、モーターで動くモニュメントを作っていただいたし、クイズ番組で、「先に押した方がパトライトが付くような装置が欲しいのですが。」と言うと、E科の先生が見事につくっていただいた。歌番組で「電飾が欲しいですね。」というと、D科の先生がつくっていただいた。これには、舞台の電気容量(私はよくわからないが…)に問題があったようで、体育館の電源というハード面から考えていただき、さらにコンピュータ制御のプログラムまで考えていただいた。莫大な費用がかかったはずだ。

私が企画した文化祭の全校イベントは、各科の先生方の「ものづくり」の情熱に火をつけてしまったのだ。普通科でも、私の後輩のU先生、M先生が脇士となって、本当によく動いてくれた。イベントの楽しさ、ヒト、モノ、カネをいかに動かすかを私の横で学んでくれたのだった。イベントを通じての人づくりは、生徒だけでなく教師集団まで巻き込んでしまったのだった。こんなことを5~6年やっていた。

最後に、I工業高校全校イベント・最大の番組について記しておこうと思う。当時、「さんまのなんでもダービー」という番組があった。なにか競技をして、競馬のオッズにしたがってゲストが賞金を懸けるというバラエティだ。競馬好きの先生に、競馬新聞の書き方を学び、U先生やM先生と、先生方や生徒の名前を馬の名前に変え、イベント用の競馬新聞を作った。(あまり教育的ではなかったが…。当然ながらあくまで遊びである。)

さんまのなんでもダービー
サッカー部を集めリフティングの回数(これには顧問の私も、ディレクターのブレストをU先生に託し、トーニョーボーイの馬名で参加した。笑)、ラグビー部対女性教員で大根おろしの早さ、などをLIVEで競ったりしたが、最大のレースは、教員・生徒代表による三輪車レースであった。これはLIVEではない。録画の日、体育館を完全にシャットアウトし、我らスタッフと文化祭実行委員が4か所(全体2か所、正面、ゴール横など)にカメラを設置、トランシーバーで連絡を取りながらのロケを行った。もちろん、後にVTR編集を行った。ゴール直前で先頭だったD科の先生の三輪車の前輪が浮き上がり後転、E科のバイクスーツを着た生徒が1位でにゴールした。何度もスローモーションで再生、大いに受けたのだった。(ちなみにこの優勝を逃したD科の先生は、今や某工業高校の校長になっている。)ちなみに、イギリス人のALTが見に来ていて、JRA(日本競馬協会)をIRA(IはI工業高校のI)に変えたダービーの番組の看板を見て、「あれは何だ?」と驚き、引いていたという逸話が残った。(笑)…注:IRAとは、当時イギリスを攻撃していたテロ組織・アイルランド共和国軍の略称である。

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