2021年5月13日木曜日

評伝 KATABIRANOTSUJI Ⅱ

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今は昔、『評伝・辻潤』』という本を読んだ。ダダイストの生涯を描いたものだが、「評伝」という語彙は、なんとも魅惑的な響きがある。今日は、私の高校時代の話である。私の通った高校は、ほぼ無秩序な自由というか、デカダンスというか、大学のような感覚と言うか、今では考えられないような学校だった。

その中で、比較的真面目だったはずの私は、芸術という魔法の言葉に魅せられていく。1年生の時は、もっぱら白黒の映画作りに励んでいた。今のようなビデオではない。スーバー8という8ミリフィルムである。芸術性を求めて、大阪の様々な汚い場所をロケハンし、友人Yと1本の短編抽象映画を作り上げた。タイトルは、サンスクリット文字で言うキリーク(阿弥陀如来の印)であるが、当時はキリークという読み方も知らなかったので、タコマという全く無意味なフリガナをつけた。汚い人形がスニーカーに踏みつけられ、徐々に戻っていくシーンや、近鉄の生駒トンネルに吸い込まれていくシーン(これは快速急行のに乗らねば撮れない。石切駅からでは迫力に欠ける。もちろん鉄オタのように運転席横でフィルムを回した。笑)、高層ビルから下をズームアップするシーンなど、全く感覚的な抽象映画だった。先輩が、これをベルギーのアマチュア映画祭にエントリーすると言い出して、昨日のエントリーに出てきた恩師がフランス語を駆使してその手はずをしていただいた。そして、なんと入賞してしまったのだった。(ただ、入賞したという連絡があっただけで、賞金もトロフィーもなかったのであった。笑)

いつしか、髪の毛は肩に届いていた。完全に芸術家きどりであり、ジーンズで下駄をはいて登校もしていた。(当時は私服登校OKの学校だった。)無茶苦茶未熟だし、今思うと穴に入りたい気持ちだ。まあ、周囲にもそんな輩がうじゃうじゃしていたのだけれど…。

こうしてみると、私が教師になってからの生徒は、おとなしい。(工業高校時は、とんでもない生徒もいたが…。ちょっと種類が違う。)私たちの世代は、何度か書いたが、紛無派の先頭くらいだが、学園紛争の残り香があって、反体制=善、芸術=反体制という漠然とした想いがあった。私などは、かなり尖っていた問題児だったのだ。

2年生以後は、先日書いた大阪市の野指連に深く入っていくことになった。映画づくりからは外れていたのだが、先輩やYが問題作を製作、上映して、事件が起こった。映画中に女性のヌードのシーンが入っていたとかいないとか。教師側は見ていないのに、これを問題視して、関係者(先輩やY)は無期停学になった。私はこれに抗議し、生活指導の先生方との戦いを決意した。まあ、こういう生徒だったのだが、先輩からやめておけと言われ、矛を収めたのだが、結局先輩は「ここ(母校)の芸術は死んだ。」という言を残し、自主退学してしまった。(この先輩は後に、藤原信也の本の装丁などをされていた。先輩の名を見つけて私は大いに喜んだのを覚えている。)

波乱万丈の高校時代であった。ほんと、教師になってから、その立場から分析すると、私はとんでもない問題児であった。しかし、捨てる神あれば拾う神ありで、教員採用試験の時助けていただいた恩師は私のような生徒を懐深く、おもしろい生徒だと認めていただいていた。この思いは、私の教師生活にも大きな影響を与えている。私は、学校に不満を持つ問題児をいままで大事にしてきたからだ。問題児だったからこそ、問題児の気持ちもわかるのだろう。

高校卒業後の逸話を4つ。その1:私が教育実習に行くことになった時、職員会議でかなり異議がでたらしい。それを社会科として世話をする恩師が抑えたという。たしかに教頭先生に、「現役生を決してあおらないように。」とくぎを刺されたのを思い出す。母校は私服から制服になっていたのだ。正常化したというか、別の学校のようになっていた。(笑)教育実習で、「制服になったのは我らの世代のせいだ。」と言うと、現役生に大いに受けた。(笑)その2:私が採用になり、商業高校に赴任した後、全校朝礼で生活指導部長が、「とんでもない先輩だったが今はりっぱに頑張っている。」と私のことを紹介していたらしい。これも恩師の情報共有。(笑)その3:いつか書いたが、この生徒指導部長が、私の赴任していた工業高校の校長として来られ、赴任した日に私を呼び、「ちゃんとやっとるか?」と聞いてこられた。2年生の担任だった私は、直立不動で、「はい。」としか答えれなかったのだった。その4:私が進学校の生徒指導部長になった時、母校で研修会があった。その時の校長は、私の在校時の生活指導部のNo2であった。理事だった私は、校長室にいやいや挨拶に行ったのだが、こそっと、「終わったら校長室に寄れ。」と言われ、やはり同じように「ちゃんとやってるか?」と言われたのだった。(笑)まあ、いくつになろうと、教え子は教え子なのである。私にも50代の教え子もいるけれど、やはり同じように接すると思う。

…ダダイズムとは、第一次世界大戦前後に、既成の秩序や常識に対して否定、攻撃、破壊しようとした芸術運動である。

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