2021年5月12日水曜日

評伝 KATABIRANOTSUJI

塾の方は、中間試験直前で満員御礼状態である。受験生を激励していて、ふと自分の受験を想い、申しわけない気持ちになる。今になって大学受験完全にワープしたことをちょっと後悔している。今日はちょっとそんなことをエントリーしようかと思う。

中学の時、私は240人くらいの生徒数で20番くらいだった。実力テストで最高10番を取ったことがあるが、全ての試験で30番台になるようなことはなかった。まあ上から10%くらいだったわけだ。私の学区は、T高校が一番で、次がS高校。私の同程度のライバルだった友人は、ほぼS高校に行ったので、私がデザイン科に行っていなければS高校に行っていたはずだ。彼らは、国立に行った者もいるが、だいたい関関同立に行った。(現役も浪人もいる。)よって、完全文系の私もそういうカタチになったように思う。だが、デザイン科に行って、さらに推薦入試で関関同立以下の大学に行ってしまった。

高校の社会科教師になれば、同じ、と妙に自信をもって信じていた。しかし冷静に後から考えると、現実は甘くないということになるのだが、私の場合、結局現役で採用試験に合格してしまった。京大のTさんという修士の先輩が、哲学科であるのに国語の採用試験に合格した。私が社会科の採用試験(それも倫理専攻)に合格したことを報告したら、めちゃくちゃ怒られた。(笑)まあ、筆記の二次試験(倫理の記述試験)はよくできていたが、合格最大の理由は、私が大阪市立の高校出身ということで、しかも社会部会長が恩師であったことが大きい。後から推測するに、この頃から大阪市の高校では大阪市立の出身者を採用していく方向性があった。私はその一期生みたいなものである。S高校は府立だったので、関関同立に行っていても、現役合格できたかは定かではない、というよりおそらく無理だっただろう。

結局、私は大学の受験勉強などという試練を乗り越えていない。(採用試験時はだいぶ勉強したが…。)商業高校、工業高校時代はあまり気にしなかったが、進学校で受験指導することには違和感があった。自分の経験していないことを生徒に伝えるというのは、全く経験のない部活の指導をするようなものだからだ。といって、自信がないようなそぶりを見せるわけにはいかない。進学校9年、体育系の普通科5年で、少なくとも生徒をどう頑張らせたら、国公立や関関同立に合格させられるか、という経験を積んだ。マレーシアでは、そういう経験をもった先生は皆無だったので、重宝された。私自身の苦労の経験はないけれど、生徒の苦労を、少なくとも初めて受験する生徒よりは知っているわけだ。マレーシアでも、三崎高校でも、私が行きたかった大学に送りだすことができた。それは、ソフィスト的な私ではなく、ソクラテス的な私にならんとしてきたが故だと思う。

今も、様々な進学指導の研究を重ねている。受験に関しては、私は何も知らないというところから出発している。私には、これしかできないわけだ。

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