2020年11月14日土曜日

ベトナムと韓国の比較

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先日から「日本人が誤解している東南アジア近現代史」(川島博之著)を読んでいる。今日は、WWⅡ後南北に分断されたという共通項を持つベトナムと韓国(朝鮮半島)の比較についての内容をエントリーしたい。もちろん著者の視点だが、十分納得できる内容である。

ベトナムも韓国(朝鮮半島)も陸続きの中国の脅威にさらされてきた。この両国の対応は大きく異なる。このことは、現在の両国の人々の思考や行動に大きな影響を与えている。

韓国(朝鮮半島)は中国に対して逆らわずにご機嫌を取ることに終始した。1392年李氏朝鮮が建国されると、喜んで中国の冊封体制に入った。(日本で言えば室町~明治期)明から清の時代だけ、女真族(清)ではなく滅亡寸前の明について戦ったことはあるが、これは情勢を見誤った故である。さて、李氏朝鮮では明で影響力が強まった儒教を国教化する。それも朱子学で、君主と臣下を明確化するものであった。大きく強いものに従うという事大主義が韓国の基本的な身のこなしになってしまった。

…ここで私論。私は日本の儒学も朱子学の影響が強いと思うが、日本の場合、義を重視する。単に君主と臣下の礼を守るだけの朱子学ではない。それぞれの立場で義を貫くことが重視されている。また陽明学的な行動主義もまた日本では影響が強い。

先ほど記した女真族(清)と戦った李氏朝鮮は敗北し、皇太子を人質に出し、毎年多額の貢物を要求され、清の使者には三跪九叩唐の礼で迎えねばならないことになる。さらに朝鮮王がいかに愚かで清の皇帝がいかにえらいかを書いた石碑まで建立させられる。日清戦争で、清が負けた後、この大清皇帝功徳碑は地中に埋められた。著者は、この行為を自分が勝ったのではないのに、清の力が弱まったとみての他力本願で卑怯だと記している。このような常に強いものに従ってきた生き方は、どこかで民族の心根を腐らせてしまう。民族のプライドを捨てたことは、民族の悲しみであり、それが時にヒステリックに現れる。昨今の韓国の国内の政情、日本より中国の方が強くなったと見て、日本への積年の恨みを言い出しているのは、こういう理由による。

…私が主張する、韓国の人々がリクールの言う「傷ついたコギト」であることと「儒家のカインコンプレックス」(礼重視のみの儒家思想)があるとの視点は、歴史的背景から説明する著者と見事に交差していると思った次第。

それに対し、ベトナムは違う。かのベトナム戦争でアメリカと戦ったが、意外にベトナムの人々はアメリカを恨んでいない。それは北ベトナムでは地上戦を経験していない(北爆は激しかったが…。)ことに関係していると著者は見る。直接支配され搾取されたフランスに対しての思いは複雑なようだが、今さら文句を言うことはないという心境のようだ。それは結局、ベトナムがフランスとアメリカに勝ったからである。ベトナムで、ボー・グエン・ザップを知らない人はいない。かのインドシナ(独立)戦争でディエンビェンフーの戦いを制した参謀だ。大砲を分解して人力だけで険しい山上に運び、かの要塞を撃破した人物だ。彼は102歳まで生き、軍人として初めて国葬された。ちなみに、ベトナム戦争では、1万mもの上空を飛ぶB52爆撃機を15機ほどミサイルで撃墜しているらしい。この事実を「空のディエンビェンフー」と彼らは呼ぶ。全力を挙げて戦えば、恨みが残ることはないと著者は述べている。日本も同様である。日本本土では空襲はあったが地上戦はなかった。沖縄は地上戦があったし、米軍基地が集中しているので、アメリカにはかなり複雑な心情が残っているが、多くの日本人はアメリカへの恨みがない。かの広島の慰霊碑の言葉(過ちは繰り返しませんから)も主語が不明確になっている。

ところで、ライダイハンの問題が、ベトナムと韓国の間にある。ベトナム戦争時、韓国軍兵士とベトナム人女性の間にできた子供のことであるが、韓国は政府も民間も沈黙を守っている。日本には慰安婦問題で強く要求を求めるが自分がしでかしたことに対しては沈黙を守っている。ベトナム人は、この問題で謝罪や補償を求めていない。今後も問題にすることはないだろう。ある知識人は「この種の問題は戦争になればしばしば起きる。歴史の中で中国人がベトナム人を虐殺したことは何度もあった。また軍隊は若い男性で構成される。このようなトラブルが生じる。歴史の1コマにすぎない。ライダイハンもベトナム人であり、そっとしておくことは彼らのためになる。」と語っている。(趣意)著者は、ここに血を流しても実力で独立を勝ち取った国の誇りを見た。全ては歴史の1コマであり、忘れるべきではないが、それにこだわる必要もない。両国を比較して、著者は最後にこう記している。「戦争を賛美することは厳に慎むべきだが、祖国が侵略された時は決然として立って戦うべきである。そうすれば、たとえ大きな犠牲を払っても、子孫は誇りをもって生きていける。一次の和平を求めて降伏し、へつらうことを繰り返していると子孫は誇りを失う、韓国とベトナムの歴史はそのような教訓を私たち日本人に語っているように思えた。」

…どうだろうか。菅首相は就任後最初にベトナムに向かった。それに対して先日、日韓議員連盟の議員の要請・ソウル訪問に対しては、韓国の姿勢を念頭に約束しなかった(拒否したといった方が適切)。これらは実に正しい認識のもとの判断だと私などは思うのだが…。

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