2017年8月24日木曜日

IBTの話(120) 道具的理性

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Beyond-Chains-Illusion-
Encounter-Continuum
/dp/082641897X
総合科目は社会学の内容に入って、大衆社会・管理社会・情報化社会などの学習を進めている。大衆社会では、平均化した社会について論じることになる。テキストでは、フランクフルト学派の後継者としてフロムの名前が挙がっているので、今年は「道具的理性」について語ってみた。主な例としては、ホロコーストに際して、ドイツ国鉄がアウシュビッツなどの絶滅収容所へ貨物列車でユダヤ人を運ぶ際、その運賃を律儀に取ったことを挙げた。フロムが、マゾビズムとサディズムという観点から、当時のドイツ人が、ナチズムという強者への服従とユダヤ人という弱者への虐待に走った人間的弱さをしてきているトコロなど、学生諸君は大いに興味を持ってくれたようだ。

道具的理性を教えるのに必要不可欠な、理性という概念、意外に難しいのだが、カントの感性・悟性・実践理性で一気に教える。この方が手っ取り早いからだが、社会学が哲学に繋がっていくことを教えるのにも都合が良い。

我がクラスでは、中華系が多いからか、経済学・経営学部指向が比較的強い。進路指導の一環として、社会学という学問を理解させることも総合科目の役目のひとつである。進路指導にあたって、文系の学部のちょうど真ん中に位置しているのが社会学部である。およそ、人間社会を社会科学的に法則的に捉える領域の広い学問だが、哲学にも、歴史にも、心理学にも、国際関係学や政策学、もちろん経済学や経営学にも開いていける。特にやりたいことが明確でない場合、私は社会学部を薦めてきたのだ。

最近の大学の学部構成は、国立大学も含め、かなり学問的な融合が進んでいるし、各大学とも個性的な取り組みをしている。進路指導の際は、マレーシアの学生は、日本の大学の学部や学科には、その社会的評価も含め、知識的には全く白紙に近いので、指導する教師側も常に研究を怠れない。日本の高校で行う進路指導の何倍も大変であることは間違いない。

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