2016年2月7日日曜日

エボラと戦った義人 カーン氏

http://www.bbc.com/news/world-africa-28560507
NHKスペシャルで、昨夜、エボラ感染時の記録を見た。この記録の中心となるのは、シエラレオネのウマル・カーン医師である。彼は、感染症の専門家で39歳。ケネマという地方都市の国立病院で、初期から警告を発した。政府へ感染地域の封鎖を勧告しながらも無視され、国際社会にも友人の医師を通じて支援要請を行うも無視された。そんな中でも、ボストンに向けて、エボラウイルスのサンプルを送り続けていく。未来をも見通した孤独な戦いを繰り広げた人だ。

シオラレオネのギニア・リベリアとの国境にあるクポンドゥ村の女性呪術師が死去した。この時の葬儀に数百人の女性が集まった。その際、伝統儀式として彼女の遺体を素手で洗った。これが最初の感染であることは、後にカーン氏が送り始めたサンプルのDNA解析で解明されている。

これまでのエボラ渦は、コンゴ民主共和国などの中央アフリカの僻地で発生しており、感染が広がる危険性は比較的少なかった。しかし、シエラレオネの場合、クポンドゥ村とケネマ、ケネマと100都市である首都フリータウンが道路で結ばれており、カーン氏は大きな危惧を抱いたのだ。政府が封鎖をしなかったゆえに、ケネマで封じ込めることを決意、15日目にケネマ病院の最初の患者のイラーさんは回復して退院した喜びもつかの間、その2日後、カーン氏が懸念していたクポンドゥ村からケネマへの道沿いに43人の患者が発生した。

点滴を打ち、体力を回復し免疫力を高めるのが、治療の全てであるが、点滴には針を打たねばならない。それだけ看護師が患者の血液に触れる可能性が高くなる。防護服を着ると50度を超え、集中力がミスを生みやすい。

24日目に、ケネマ市内で感染者が発生。WHOから医師2名の派遣がやっと決まる。まさに無関心との戦いであった。隔離病棟は満員になり、街では暴動も起こる。カーン氏の予想どうり、やがて首都フリータウンに、リベリア、ギニアに、そして先進国にも拡大したのは周知のとおりである。

発生から59日目、カーン氏自身が感染する。看護師の治療のため素手で目を触っていまうのだ。その一週間後死去。彼の遺体はケネマ国立病院の中庭に埋められた。その際の映像には棺桶にムスリムを示すマークがあった。私は、彼の名前から、ムスリム(イスラム教徒)ではないかと直感したのだが、偉大なシオラレオネの医師は、やはりムスリムであったわけだ。この事実は、広く知られるべきだと私は思う。宗教を超えて、多くの人を救い、欧米先進国とも連携しながらエボラのワクチン作成に大きく貢献した。

カーン氏を含め、ケネマ国立病院のスタッフ41人が死亡。210名の患者が救われた。彼らの名を記した碑が病院に建立されている。番組は、その牌の紹介で終わる。

…もう一度、確認しておきたい。過激派の世界的な跋扈によってムスリムが悪者扱いをされている今だからこそ、エボラ出血熱渦の中で完全と立ち向かった義人として、我々はイスラム教徒である医師ウマル・カーン氏の名を忘れてはならないと思う。(義人というのは、極めてキリスト教的な概念であり、コトバである。あえてこのコトバを使ってカーン氏を紹介したい。)

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