2016年2月28日日曜日

リビアに掲げられたカタール国旗

http://kaigai-matome.net/archives/35550646.html
毎日の国際面で、アラブの春から5年を経て「揺れる中東」という連載が続いている。今日は、意外な話が載っていたのでエントリーしておきたい。

2011年8月24日、リビアの首都トリポリにあるカダフィ大佐の居住区前に、カタール国旗が掲げられた。アラブの春がリビアにも起こり、反カダフィ派は半年におよぶ内戦の末、政権の中枢を制圧した。異国の空に翻った旗は、その「影の主役」を如実に表していた。
カタールは、NATO主導のリビア軍事介入に際し、アラブ連盟内で国連決議を支持するよう働きかけ、空爆にも真っ先に参加した。反カダフィ派に大量の武器を供与、軍特殊部隊も送った。カタールの衛星テレビ局アルジャジーラは連日反カダフィ派の姿を世界に発信した。

そもそもカタールの首長家は、湾岸諸国に挑発的態度を取るカダフィを嫌っており、2009年のアラブ首脳会議で、当時のサウジ国王を「英国製で米国に守られている。」と侮辱、議長国だったカタールのメンツも潰された。エジプトやサウジが混乱していた11年春、カタールは国威発揚の一環として外交に力をいれ、レバノンやイエメンで次々と調停役を果たし、名声を高めた。リビアへの介入はその延長戦上にある。

(アラブの春を、イスラム勢力の権力奪取というカタチで応援するという首長国らしい外交方針は明確だった。)しかし、エジプトで支援したムスリム同胞団、さらにシリアのアサド政権と戦うイスラム武装勢力を支援したもののうまくいかなかった。「リビアもシリアも袋小路に入った。もはやカタールの手に負える状況ではない。」(エジプトのシンクタンク・アハラム政治戦略研究所のハッサン・アブタレブ顧問)ということだ。

…アラブの春から5年。ムバラクやカダフィが倒されたのは衝撃だった。問題は、現実的な後継政権を設定できないまま独裁政権を打倒したことである。今のところ、ただただ造反有理として破壊行為が行われただけにすぎない。この混迷を収めるのは、かなり難しい。欧米的民主主義も、ISのカリフ制も。結局その中間的な政権による国民国家が再建されることになるのだろうか。

How many times must the cannon balls fly before they're forever banned?
How many years can some people exist before they're allowed to be free?
How many ears must one man have before he can hear people cry?
How many deaths will it take till he knows that too many people have died?

…それは、ボブ・ディランの言うように”風の中”にあるのだろうか。

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