2015年8月30日日曜日

司馬遼「幕末のこと」を読む。

ちくま文庫の「幕末のこと 幕末明治論コレクション」(司馬遼太郎/関川夏央編)を読んだ。司馬遼の様々な幕末・明治論を集めたものだが、意外な発見がたくさんあって面白かった。その発見の断片を備忘録としてエントリーしておきたい。

土佐藩の上士について。山内家は、長宗我部の残党を恐れて、関ヶ原浪人を上方あたりで採用して24万石の人数をごっそり連れてきた。進駐軍のようなもので、後の革命のモメントになる。

長州藩は、瀬戸内海岸の干拓を続け幕末には実質100万石と言われた。その収入を持って換金性の高い殖産事業を起こし、ヨーロッパの産業国家のような観を呈していた。様式陸海軍をもち、京都での革命工作、戊辰戦争の戦費を賄ったうえで、まだ8万両を残していた。こういう競争の原理は、中国・朝鮮の専制政治(競争の原理を封殺するところに権力の安定を求める)にはないもので、日本は専制政治を輸入したが、結局のところ圧殺できなかったといえる。

乃木希典の師は、吉田松陰の叔父・玉木文之進であった。

新選組の組織は、統率者が局長の近藤勇だが、識者は副長の土方歳三。局長を神聖して上に置いて、現実に手を汚す指揮は副長が行い、その副長に助勤(昌平黌のシステムの名前らしく、山南敬助あたりが思いついたのかもしれないと司馬遼は言っている。)がつく。ヨーロッパ風の軍隊で言うと、副長が中隊長、助勤が中隊長付き将校で、小隊長でもある。オランダかフランスの中隊制度から学んでいる。何かあれば、副長が腹を切ればいいという日本的システムとヨーロッパのシステム、言葉は昌平黌からとっているところが面白い。しかも土方は、敵を倒すことよりも、味方の機能を精妙に、先鋭なものにしている。同時代やそれ以前にはない恐るべき組織感覚である。

井上薫(聞多)が英国から帰国し、遭難に合い、瀕死の重傷を追う。長州の医者二人は匙を投げるのだが、偶然この家に入ってきた美濃出身の所郁太郎に救われる。緒方洪庵に学んだ医師であった所は、長州内であれこれ奔走していた志士であった。ほどなく彼も病死し無名のまま終わる。

サンフランシスコの郊外に日本人墓地があり、咸臨丸で「火炊き」の峯吉(長崎の人)の墓がある。ここには”日本皇帝(将軍)の命によりこれを建てた。”と書かれている。これを建てた貿易商ブルックスは後サンフランシスコ領事になっている。一方、旧幕時代に渡米して、自分が知らぬままに奴隷で売られていた若き仙台藩士をブルックスは救っている。契約を破棄し、自由の身にした。その仙台藩士とは、高橋是清のことである。

アメリカの排日移民運動の歴史は古い。日露戦争が終わった翌年、サンフランシスコ大地震が起こり、日本から24万ドルの義援金が送られた。この額は全世界からの総額を上回っていたが、排日運動はやわらがなかった。それとこれとは別次元だったのだ。一方、関東大震災の時、アメリカは先の24万ドルの50倍の1200万ドルという多額の義援金を送ってきた。その翌年、排日移民法が制定されている。感情と経済は別、というアメリカの姿勢がうかがえる話である。

奈良(南大和)では、天領ゆえに四公六民(税率40%)であった。天誅組の話で出てきている。要するに、7万石くらいの行政機関でありながら、その軍事力は10人。(普通の藩なら1500人)だったのは、このような税制だったからである。現在の奈良の古寺が白壁に囲まれているのは、租税の安さの遺産だという。

薩摩藩は、その外交は投手交代しているようなものである。斉彬の下で西郷が動いた時代を経て、久光が主導し始めると攘夷ながら佐幕的傾向をもつ。薩会同盟(会津と同盟し、長州を京から追い出した)の時代である。その後西郷が復活して、薩長同盟となっている。試合途中で投手交代したようなカタチである。薩会同盟の会津側の代表は秋月悌二郎。決して外交向きの人ではないが、長く江戸・昌平黌に学び寄宿舎の舎長を務めた人物故、他藩にも顔がきいた故。薩摩側は高崎正風。西郷に嫌われ、宮内省の役人で終わっている。

日本人の心の二重性について。譜代の雄、彦根藩は、鳥羽伏見の戦いの前、極めて異例ながら大衆討議にかけた。上士以上は城に、下士は寺に計1万人を集め札入をする。徳川のために最後まで戦うと意見は3票しかなかったという。司馬遼は、もし鳥羽伏見の段階で全国の武士階級にアンケートをしたら、99%が薩長を主体とした京都政権を認めないと答えただろう。京都で天皇を擁している薩長政権を主体とする新政権が新しい時代をつくると思うかと尋ねたら「思います。」と答えただろうと言っている。どういう行動をとるかと聞いたら、沈黙したのではないか、とも。

…最後の日本人の心の二重性。極めて日本的である。この正義に対するあいまいさがもつ危険性が、今の大阪や日本全体に悪影響を与えているように私は思うのだ。

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