2015年8月1日土曜日

波蘭ユダヤ民遺蹟巡礼 1 序論

ビルケナウ絶滅収容所で見かけた超正統派
今回のポーランド(波蘭)行は、昨日書いたように、ワルシャワとクラクフ・アウシュビッツのホロコースト・ユダヤ関係の地を巡るものとなりました。最初に総論的な考察をしておきたいと思います。

まず、ポーランドという国のカタチについてです。歴史を紐解くと長大になりますので、簡潔に述べますと、中世の十字軍以来高まった反ユダヤ主義のため、神聖ローマ帝国(ドイツ)を脱出したユダヤ人を受け入れたことで、西欧からのユダヤ移民が増加、さらにカリシュの法令というユダヤ人の保護を法的に認めたことで、ポーランドはユダヤ人にとってポーランドは最も安全で住みやすい国となります。このことからヨーロッパで最大のユダヤ人口を抱える国になったわけです。
http://matome.naver.jp/odai/2139217280958465401

ただし、ナチのホロコーストにより、アメリカやイスラエルに逃げ出したか、強制収容所等で殺されたか、現在ポーランド在住のユダヤ人は極めて少数です。なお現在のポーランド人の血にはユダヤ人の血が多少混じっている(キリスト教に改宗したユダヤ人もおり、混血が進んだらしい。)とのことです。

WWⅡの時代、ポーランドもまた大きな犠牲を払いました。ナチの強制収容所と言えば、ユダヤ人虐殺というイメージが強いのですが、ポーランド人(指導者層・カトリック神父・反ナチ政治犯)も、他の少数派(ロマの人々や同性愛者・障害者など)と共にかなりの数の死者を出しているからです。したがって、大多数のポーランド人もナチの犠牲者であり、少なくとも(ドイツほど)反ユダヤ的ではなかったと見るべきなのでしょう。(もちろん、WWⅡ後に、国内で帰郷したユダヤ人に対してのボグロムの事例もありますが…。)
アウシュビッツ強制収容所で イスラエルの修学旅行生たち
今回のポーランド行で、(明らかにわかる)ユダヤの人々を見かけたのは、ワルシャワ初日、レストランの窓からふと見えた2人組がタッリート・カータンの房(アルバア・カンンフォート)を出して歩いていた姿と、1人だけキッパを被った人の姿が最初でした。彼らを見かけたのは、ポーランドユダヤ人歴史博物館の近くで元ワルシャワ・ゲットーのあった地域です。現地の人かどうかも不明です。以後、街中で会うことはありませんでした。さらに、アウシュビッツ強制収容所では、イスラエルからの高校生の修学旅行生の団体に会いました。(イスラエルで聞いたとおりでした。高校生は修学旅行でアウシュビッツに行くというのは。もちろん、彼らには卒業後の兵役が待ち構えています。)アウシュビッツ第二(ビルケナウ)絶滅収容所では、超正統派の2人を見受けました。話しかけた息子によると、イスラエルとニューヨークからの見学者であるとのことでした。もう一人、クラクフのシナゴーグで超正統派の若者と会いましたが、観光客(というより故郷訪問)だったそうです。旧ユダヤ人地区は、本当に”旧”であり、シナゴーグも復元されたものが多く、細々とコミュニティは存続している所もあるようでしたが、事実上、遺跡と呼ぶに相応しいものだったのです。

したがって、今回のポーランド行を一言で表すと、ユダヤ人がいなくなったユダヤの遺跡を巡る旅だったと言えます。そういうわけで、今回のポーランド行の考察のタイトルを「波蘭ユダヤ民遺跡巡礼」としました。「ユダヤ民」というのは、アウシュビッツ強制収容所の日本人ガイド中谷剛氏の「人種としてのユダヤ人は存在しないので”民”と呼ぶべきである。」との趣旨に強く賛同するところから、そうしました。ただ、エントリーでは便宜上”人”という呼称を使うことが多いと思います。「遺跡」としたのは、前述のように現在ユダヤ人がポーランド(波蘭)国内にほとんどいない故です。最後を「巡礼」としたのは、この旅は観光が主目的ではないことを多少なりとも表現させてもらった次第です。

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