2015年8月5日水曜日

波蘭ユダヤ民遺蹟巡礼 6

カジミエシュ地区の様子
クラクフの旧市街の南にあるカジミエシュ地区を歩いた4日目のことを今日はエントリーしようと思います。この地区は、何度かエントリーしているように、中世以来ユダヤ人を保護した関係で、自治が行われているほどのユダヤ人街でした。クラクフのWWⅡ前の人口は25万人。その約1/4、6万人がユダヤ人だったといいます。戦後、その10分の1ほどの人々が迫害・虐殺を逃れ、戻ってきたらしいのですが、結局イスラエルやアメリカに逃れてしまったらしいのです。
シナゴーグの内部(1・2)
この一度死んだ街が、「旧ユダヤ人街」として今は復活しています。街には、シナゴーグや博物館がいくつもあり、私はシナゴーグに入るのが大好きなので退屈しません。ただ、信仰活動の場というよりは、観光客の好奇の目に触れるために存在しているという感じです。シナゴーグ内に入るには、男性はキッパが必要です。(私はずっと「死海」が英語表記された野球帽を被っていましたのでせる必要はありませんでしたが。)この形式的なキッパが、なにかエンターテーメントの一演出のような気がしました。ここはユダヤ人のいない旧ユダヤ人街でしかないのです。
シナゴーグ内部(3・4)
3年前のイスラエル行でも、いくつかシナゴーグに入りましたが、ユダヤ人墓地には入っていません。オリーブ山で墓地の横の道は歩きましたが…。今回は、そのユダヤ人墓地にも入ることができました。と言うより、あるシナゴーグの追加エンターテーメントという感じでした。このユダヤ人のいない旧ユダヤ人街の感覚。正直、テーマパークのような感覚でした。
ユダヤ人墓地
ポーランドには、ユダヤ人はいなくなってしまっまったのに、古いアシュケナジの「物(建築も様々な宗教用具も)」はたくさん残っています。今はそれをポーランドの人びとが活かしてビジネスをしている。こう言ってしまうのは酷でしょうか。ただ、私自身は、ユダヤ教やユダヤ文化に大きな興味をもっていますので、こういう街の存在の意義を十分に認めたいと思います。

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