2015年8月20日木曜日

宮田珠己「旅するように読んだ本」

昨日エントリーした”ハチハンター”を、先日梅田で購入したのだが、その前に久しぶりにJ堂書店に寄ってみた。そこで面白そうな文庫本を物色したのだ。で、宮田珠巳の「旅するように読んだ本」(ちくま文庫/本年6月10日発行)が妙に気になって購入した。

というのも、先日読んだ西サハラのマラソンの本の中で、高野秀行氏と宮田珠己氏が友人関係にあることがわかった故でもある。宮田氏の極めて特殊な文体が私は好きで何冊か読んできた。宮田氏の書く紀行文の視点も、極めて特殊である。この本は、彼の「特殊」な視点から選んだ旅の本の目録である。高野氏との雑談の中で、どこへ旅したいか、2人の意見が一致したのは過去であったという。そういう意味もあって、時間を超越した旅という視点から、様々な歴史書の類も、このリストには入っている。全48冊。(各章で同じ著者や同類の本の紹介もされているので、それ以上の数であるが…。)

当然、”宮田珠巳ワールド”である。ほぼ読み終えたのだが、最初にリストアップされている「アボリジニの世界」が強烈な印象を私に与えた。ちょっと哲学的な内容だが、実に面白い。

アボリジニの世界には「時間」にあたる概念がないらしい。アボリジニの被験者に、5本のマッチ棒を3本と2本に分けた形で見せ、ここに何があるか?と問いかける。すると「3本と2本のマッチ棒がある。」と答えた。次に3本の方から1本とって、2本の方に足し、もう一度同じ質問をする。すると、アボリジニは「3本のマッチ棒が2組と2本のマッチ棒が2組、そして3本を作り出すマッチ棒が1本ある。」と答えたのだという。彼は、最初の状態と最後の状態の両方を同時に見ており、なおかつ、その変化を起こすマッチ棒の特性をも一緒に見ているのである。

すなわち、アボリジニは、世界の表層に現れている現状だけでなく、潜在的な状態をも一緒に見ているのである。そうすると世界がどう変わるかというと、たとえば子供が生まれてくる時に女性は、出産という役割に個人的な思い入れを抱かなくなる。すでに存在するおとになっている実体を運んだだけだ。さらに自分は何者かというアイデンティティの問題も、それは何らかの潜在的なものがあらかじめ仕込まれていているのだから、自分自身で考えてもしようがないことになる。

またアボリジニは、過去に何かが起こり、また今後何かが起こり得る場所として土地を見るから、時間より場所が重要になる。そこら中意味だらけの濃いスープのようなもしくは分厚い書物みたいな風景が出来上がる。実際アボリジニは風景に手を加えるのを嫌がる。子供がいたずらに石を蹴飛ばしただけで、元に戻せと怒られたりするらしい。そのせいで、アボリジニ社会には農業は起こりえない。

土地がある潜在力として把握されるなら、すでに原初の時間において世界は完成していたことになり、今起こっていることも、そうした潜在力が起動しているだけだと考えれる。この世界の始まりの時間がドリームタイム(アボリジニの文化を説明するときによく使われる。)なのだそうだ。

…私はアボリジニに会ったことがない。大阪在住のオーストラリア人の友人(白人)がいるのだが、彼は、アボリジニを忌み嫌っている。全く働かないし、何を考えているかわからないとボヤいていた。この文章を読んで、なんとなく、その謎が解けたような気がした。世界は面白い。(笑)

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