2015年8月2日日曜日

クラクフという街について

クラクフ 旧市街 中央広場
世界史を教えていても、あまりポーランドのことは教えた記憶がありません。(正直なところ、私の専門は倫理と地理で、世界史は第三の教科なのです。)誠に恥ずかしい話ですが、クラクフという街のことはあまり知らなかったのです。ワルシャワの前の首都であったことも、世界でも有数の観光地であることも知りませんでした。私にとっては、ただ単にアウシュビッツの最寄りの街でしかなかったのです。

ワルシャワから、鉄道でクラクフに向かいました。北海道のような風景がひたすら続きました。いや北海道以上の大平原。農業大国ポーランドの姿がよくわかりました。地理の教師としては、ヒコーキの上から見るだけではなく、鉄道やバスの車窓からヨコに見ることに大きな意義を感じます。実際、ポーランドの食は豊かです。私は食にはあまり興味がないので、これ以上の話の拡大はできません。(笑)
ワルシャワからクラクフへの車窓から
クラクフ駅は、かなり近代的なモールのような建物でした。これには驚きました。もっと古びた駅かと思っていたのです。(もちろん、その南側に歴史ある駅が保存されていましたが…。)しかもヨーロッパ有数の観光地らしく、多くのバックパッカーが闊歩し、ガイドが寄ってきます。(笑)
クラクフ旧市街  バルバカンから南に望む
今回の旅は、アウシュビッツに行くことが最大の目的でしたから、観光気分はさておいて、というスタンスでした。しかしホテルにチェックインした後、クラクフの旧市街に向かうと、まさに非日常的な素敵な世界でした。なによりも、歩いている人々の表情がいいのです。中世以来の美しい街並(ドイツがクラクフをポーランド支配の拠点としたが故に破壊されなかったからですが…。)に魅了され、様々な店をつい覗いてしまうのです。ワルシャワの旧市街は”歩いたなあ”という感じですが、クラクフの旧市街は”自然に歩かされてしまう”という感じでした。理屈抜きに良い街でした。
カジミェシェ地区 
ところで、このクラクフの街、ポーランドとユダヤ人を強く結びつけた歴史的な街です。旧市街の南部に旧ユダヤ人街であるカジミェシュ地区があります。ここはワルシャワのゲットーのようにドイツ軍によってのユダヤ人が強制的に集められた地区ではなく、昔からユダヤ人に対して自治権を与えられた地区でした。息子夫婦の安宿もこの地区にあるとのことで、結局徒歩で、歩き続けることになりました。すでに夕方。多くのシナゴーグの開館時間は過ぎているようでした。ですが、アウシュビッツに向かう前に、このカジミェシュ地区に立ち寄ったこと自体に意義を感じました。

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