2012年1月1日日曜日

日体大の集団行動に学ぶ

2012年最初のエントリーは、TVで見た日体大の史上初の女子学生による集団行動の話である。「笑ってこらえて」で以前から見ていたが、完全版は始めて見た。(練習時からのドキュメントに夫婦で感激して泣いてしまったのだった。)ただ単に凄いとか、綺麗だとかではなかく、私は体育系の訓練という意味を自分の中で、一生懸命理解しようと努めている自分を再発見することになった。2012年はまさにそういう年になるような気がする。

年末の校内の分掌希望調査では、当然1年生の担任を希望した。おそらく担任になれるだろうと思うが、本校では、普通科・体育科・武道科があるので、体育科の担任になる可能性もある。担任として体育科の先生をサポートするためには、体育系の指導理念をよくよく理解する必要があるように思う。先日(12月20日)もブログでちょっとふれたが、私のスタンスとは180度異なるスタンスである。私は社会科の教師だから、人づくりは帰納法的である。様々な角度から人づくりを考えている。体育科は、その指導者の指導理念から導かれる演繹的な個性が強い。1+1=3との三進法などという指導理念がであれば、それが演繹的真理となるわけだ。最近そういうことをずっと考えている。

昨年末、若いH先生と喫茶店に行った時、そういう話をしていた。彼は某クラブの顧問で、自身もそういう経験をしている。彼と話していて、体育系の教育の本義とは、指導者のもとで練習に練習を重ね、やり抜いた自信とメンタル的な強さを目指すもののように理解した。彼はこう熱弁をふるってくれた。そういう理不尽な育てられ方、絶対的なものへの服従をある一定の時期に経験することは今の教育には絶対必要だと。なるほどなあと感じた次第である。

TVで見た指導者は、それまで経験のなかった女子学生の指導にあたって、自己の経験則から創意工夫をされていたようだ。なかなか勉強になった。とはいえ、自分なりの演繹的真理をもっておられることは間違いない。当然、私も帰納的に導き出した演繹的な指導理念はある。結局方法論的な問題なのだろうか。うーん。やっぱり普通科の担任のほうが気が楽だよなあ、と思ったりする。さてさてどうなりますことやら。

我がブログの読者の皆さん、またよく来訪していただいている皆さん、末筆になりましたが、今年もよろしくお願いいたします。

2 件のコメント:

  1. 演繹的と帰納的という分類は、あっそういうことなんだと納得しました。専門学校は職業訓練校という側面もあり、その点は演繹的かもしれません。今年もよろしくお願いいたします。

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  2. 非常勤講師さん、こちらこそ今年もよろしくお願いします。

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