2011年11月23日水曜日

南アの首都プレトリア改名?

南アの行政府首都・プレトリア駅
WEBニュースを見ていたら、南アの事実上の首都(行政府上の首都・立法府はケープタウン、司法府はブルームフォンテーン)、プレトリアの名称が2012年末には、ツワネに変更になるとのこと。22日に市長が発表したそうだ。記事にあるように、このプレトリアは、アフリカーナー(ボーア人:オランダ系白人とフランス人ユグノーなど、カルヴァン派のプロテスタントが多い。アパルトヘイト政策を行ったことでも有名である。)の英雄であるアンドリュース・プレトリウスの名前に由来するそうである。少し調べてみた。
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2011112300078

A・プレトリウスは、ケープ植民地をイギリスに追われ、内陸部に移動したボーア人で、先住のズールー人をブラッド・リバー(血の川)の戦いで撃破し、ナタール共和国を建国した人物である。このナタール共和国は後に4年で崩壊、アフリカーナーは、トランスヴァール共和国とオレンジ自由国を建国する。このトランスヴァール共和国の初代大統領は、A・プレトリウスの息子、マルティヌス・プレトリウスである。M・プレトリウスが、父の名と兄弟への敬意をもとにプレトリアフィラデルフィアと名付けた。後にフィラデルフィアという兄弟愛を意味するギリシア語が取れて、プレトリアという名称になったようである。
http://en.wikipedia.org/wiki/Andries_Wilhelmus_Jacobus_Pretorius
http://en.wikipedia.org/wiki/Marthinus_Wessel_Pretorius

こういう機会だからこそ、南ア史を勉強し直すことができた。ありがたいことである。ところで、『ツワネ』というのは、先住民の首長の名前だとしか、結局わからなかった。WEB上は、当然欧米世界である。

プレトリアは懐かしい街だ。南アに行った時のベースとなった街。かなり街歩きをした。行政府の首都故各国の大使館も集まっているからか、ヨハネスブルグとは異なり、治安も良かった。(昨年3月19日・21日ブログ参照)

地理の教師としては、こういう地名の変更には敏感になる。大抵、欧米人のつけた地名から現地語へ変更である。あるいは政変による変更。今回は、どっちかというと後者の地名変更だといえるわけだ。現大統領は、A・プレトリウスに撃破されたズールー人出身である。

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