2024年2月8日木曜日

黒島伝治 渦巻ける烏の群

「近代社会と格闘した思想家たち」の第4章のタイトルは「戦争のなかで」である。この章からは、プロレタリア文学者の黒島伝治を選んだ。

黒島は小豆島で半農半漁の家に生まれたが、トルストイやチェーホフを読む文学少年で、働きながらも、文学への志止みがたく早稲田の選科生となった。その矢先の1919年に徴兵され、姫路の第十師団に衛生兵として入営する。その後、シベリア出兵に派遣され、シベリアの冬にやられ病院船で帰国した。この時の日記が、WWⅡ後に壺井繁治によって「軍隊日記」の名で紹介され、稀有の記録としての評価を得た。

初期の代表作である「 渦巻ける烏(カラス)の群」(1927年・『改造』)には、凍てついたシベリアで、残飯を求めるロシアの子供たち、内地に憧れ家庭を恋しがるとともに、誰のためにこういうところで雪にうもれていなければならないのかと疑問を持つ兵士たちという情景設定をもとに、その舞台の部隊長が、ロシア女性をめぐる兵士に対する私怨から、その兵士の所属する中隊に、急遽、危険な土地の守備を命じ、中隊は道に迷い雪の荒野に埋もれてしまうという物語が繰り広げられる。春が来て、群がる烏が兵士たちの所在を明らかにした、という短編小説である。

これに続く唯一の長編「武装せる市街」は、1928年の中国・済南事件(第二次山東出兵)を題材にしている。「 渦巻ける烏の群」が軍隊内の不条理の告発出会ったのに対し、「武装せる市街」は、日本の中国支配のからくりを暴いた作品になっている。おびただしい伏せ字部分があったにも関わらず発行と同時に発禁となった。満州事変の前年で、黒島は郷里で特高警察に監視されながら病臥生活を過ごし、日本の降伏を待たずに没した、「武装せる市街」は、GHQの検問にひっかかり、講和条約締結後にやっと日の目を見た。

…シベリアと聞けば、WWⅡ後のシベリア抑留を連想するが、黒島が描いたのはシベリア出兵の時代。この時に、このようなプロレタリア文学者が存在し、壮絶な内容を残していたことに驚いた。私が第4章の中でこの黒島を選んだ最大の理由は、「渦巻ける烏の群」という、あまりにシュールなタイトルの印象であるといってよい。

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