2024年2月9日金曜日

追憶 少年時代の桃谷商店街2

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さて、桃谷商店街の追憶エントリーの続編である。私の実家からまっすぐ商店街に向かうと、角近くに喫茶店があった。当然ながら、小中学生では入れない。お祭りの日の帰路に親父が何回か連れていいってくれたという記憶があるのだが、ここでも注文するものは決まっていた。「バナナクリーム」である。今では考えられないが、バナナはかなりの贅沢果実=高価であり、そもそも年間を通してバナナを食べれるのは、春と秋の遠足の日くらいであった。完全に、ハレのモノであったわけだ。そのバナナに、生クリームとアイスクリーム、そして、贅沢のシンボルとしての赤いサクランボが鎮座していた。まあ、1年に1回あるかないかの至福の時であった。(笑)そのバナナ、今は、毎朝ヨーグルトに入れて食べている。

この喫茶店から駅の方に少し行くと、たこ焼き屋があって、実に美味い店だった。いつも満員。さらに、猫間川筋を超えていくと、美味いコロッケを売っている肉屋があった。鍵っ子だった私が帰宅すると、30円くらい置いてある。これで、最初は3個買えたのだが、だんだん値上がりしていった。私の中では、高度経済成長時のインフレ認識は、コロッケの値段と連動している。(笑)

駅前には、寿司屋があった。今では、スーパーなどでもにぎり寿司のセットが売っているが、寿司は当時、寿司屋でしか食べれなかった。極めて高級なもので、これも年1回、親父のボーナスが出た頃に行くことができた。今でも、イカやタコの握りが好みなのは、その頃の貧乏根性のなごりである。妻などは、いくら・うに、赤貝などを平気で頼むが、私はせいぜい、ホタテまで。(笑)

桃谷商店街には、たくさんのグルメがあった。ハレの日を実感するものもあれば、少年時代の思い出もつまっていた。もう10年以上も前に、M高校の受験の営業に母校の中学校や塾を回ったことがある。その時にすでにかなり様変わりしていたが、今はもっと変わっているのだろうと思う。(画像は現在の桃谷商店街)と、いうわけで、すこしばかり、昭和の薫りを届けてみた。

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