2024年2月14日水曜日

本居宣長の大蛮行

http://www.zuzu.bz/ownerblog/2009/08/post_287.html
梅原猛の「地獄の思想」の興味深い記述についてのエントリーの続編である。これは、梅原の大胆な仮説なのであるが、「漢意」を基本とする本居宣長や平田篤胤の国学、それを意識的・無意識的にせよ影響をうけて追随している日本思想の研究者に対して、日本思想に深く仏教が影響を与えていることを認めるべきだという話である。

たしかに、聖徳太子以前はともかく、以後室町時代までは仏教思想の圧倒的支配下にあった。江戸以降は儒家が国教となるが、民衆は仏教に近しかったし、日本の彫刻、絵画、文学も同様にその影響下にあった。国粋主義的な思想家であった本居宣長は、深く仏教の影響の下にあった日本の文学を仏教の影響を排して理解しようという大蛮行を企てた。

それで、本居宣長が熱愛した「源氏物語」や「新古今和歌集」も、『仏教の影響なしに理解』しなければならなかった。しかしながら、紫式部は仏教の崇拝者で法華経の信者であった。源氏物語も仏教の慈悲や無常観、業の思想の影響を深く受けている。また本居宣長が最も愛した歌人・藤原定家は「摩訶止観」(天台の三大部の1つ)の熟読者であった。すべてのものに心の姿を見る彼の有心の美学が天台の止観の影響を受けていることは明らかである。日本の古典文学解釈は、長い間本居宣長の影響下にあった。本居宣長はあまりに巨大な存在であり、彼の盲点はそのままになっている。

…なかなか面白い話である。紫式部も藤原定家も仏教の影響を強く受けていたのに、作者の背景を無視して文学を論じるというのは、今では考えられないことだ。本居宣長は、私も日本思想史の中でもたしかに巨人だと思うが、彼の「漢意」も見事にドグマに陥ってしまったということか。

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