2023年6月30日金曜日

東京裁判 無知のヴェール

https://j-dac.jp/tokyotrial/index.html
「司馬遼太郎の意外な歴史眼」(福井雄三/主婦の友社)では、司馬遼と東京裁判に縛られているという主張がされている。言うまでもなく、東京裁判は、戦勝国の政治的パフォーマンスにすぎないと私も思っているが、ここで著者の記述に従って見ていこうと思う。

まずは、ニュルンベルグ裁判との比較である。連合国側は、ナチのホロコーストに対し「人道に対する罪」が適用したのだが、本来は「平和に対する罪」を適用したかったようだ。しかし、戦争が終わってから後に定めたもので、1945年以前には存在しなかった。このような事後法を過去に遡って適用するのは峰理論上不可能である。ドイツ弁護団は、この点を猛烈について「平和に対する罪」を撤回させた。東京裁判では、ドイツと反対に「人道に対する罪」を適用しようとしたが立証できなかったので、「平和に対する罪」を無理やり押し付けてきた。「日本の28名の被告全員が、1928年から45年まで17年間にわたって全面的に共同謀議を行い、侵略戦争を計画、準備し実行した。」というわけだが、28名のうち半分近くが面識もなければ言葉をかわしたこともない。事実無根の暴論であったわけだ。

もちろん日本側も清瀬一郎により反駁されている。①東京裁判は、ポツダム宣言にある戦争犯罪(通常の戦争犯罪)についての裁判であって、それ以外のことを裁く検眼はない。②すなわち、東京裁判には「平和に対する罪」(侵略戦争)「人道に対する罪」(非人道的行為)を裁く権限はない。③すなわち、ポツダム宣言当時に世界に存在したものは、戦時放棄の違反である通例の戦争犯罪のみである。④ドイツと日本では降伏の条件が全く異なる。日本は無条件降伏したのではない。ポツダム宣言という条件付きの降伏である。ドイツの方式を日本に通用するのは間違いである。政府が壊滅し無政府状態のドイツと、きちんと政府が存在していた日本では全く違う。⑤パリ不戦条約は、戦争を違法としているが犯罪とはしていない。⑥ニュルンベルグ裁判を成立させる根拠は、1945年8月8日のロンドン協定である。東京裁判の根拠は、7月27日のポツダム宣言である。未来の8月8日で過去の7月27日を解釈するのは法律的に許されない。⑦ポツダム宣言当時の戦争とは、大東亜戦争すなわち太平洋戦争のことである。満州事変や張作霖事件やノモンハン事件は対象外である。満州事変の結果の満州国は国際的に承認されている。張作霖事件やノモンハン事件は停戦協定が結ばれ解決済である。

著者は、マッカーサーの言質(ドイツ人はアングロ・サクソンと同じ45歳ぐらいに成熟しているが、日本人は12歳の少年)を引いて、日本への差別意識を指摘している。これが、「平和に対する罪」を押し付けた原因だとみているわけだ。

この東京裁判は、”無知のヴェール”によって見事に日本人に刷り込まれたと著者は主張する。これを助けた東大法学部教授がいたことには、さらに衝撃的だ。横田喜三郎。国際法の主任教授。連合国の意図に沿った言論活動を展開し、曲学阿世の徒・売国奴となった。その後最高裁判所長官に任命されている。(調べると吉田茂の指名である。もともとマルクス主義者で戦後、天皇制を否定していたが、最高裁判事になるとき、自著「天皇制」を東京の古本屋で買い漁り、事実を隠蔽しょうとしたという、どうしようもないくらいに醜い人物である。

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