2023年6月18日日曜日

ふと考えた。偉人とは散り際。

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マレーシアにいるとき、日本の偉人についてグループで研究発表する日本語の授業があった。私にも意見を求められ、毎回、新渡戸稲造、緒方貞子、イチローの3人を推薦させてもらった。マレーシアの学生にもわかりやすいスタンスの偉人を選んだつもりだが、マレーシアでは野球が盛んではないので、意外にイチローには苦戦していたようだ。(D大のL君、御免。笑)

もし、日本人の高校生ならば、当然自分達で検討させることになるだろうが、現在の自分ならだれを選ぶかという視点で考えてみたい。私には私なりの美学があって、散り際を重んじたい。新渡戸を第一としたのは、国際連盟事務次長という立場を経験し、WWⅡ前に日米の平和のため獅子奮迅の努力を重ねる中で客死したところに惹かれるわけだ。

PBTを去る時も三崎を去る時も、自身の都合ではなく、学校のため、良かれと思い、切腹のような責任の取り方をしたのも、こういう私なりの美学による。

と、なればやはり武士道というか、軍人が多くなる。とんでもない奴も多いが、散り際が見事な軍人もいる。まずは、阿南惟幾。敗戦時の陸軍大臣。皇道派でも統帥派でもなく、この人しかできないと人格から陸相に推された。全ての責任を一身に受け切腹。この人の伝記は一度ゆっくりと読んでみたいと思う。会津出身で差別されながら、義和団の乱の時駐在武官として大活躍した柴五郎も、昭和5年に退役しているが、阿南同様切腹している。老齢でうまくいかなかったらしいが、その精神性に頭が下がる。後輩のしでかした事をも自己の責任と感じての行動だったのだろう。

さきほど書いたドイツに逃げた著者に、こういう精神性はわからないだろうと思う。明治の人はやはり凄い。学問に関しても、今のような膨大な種類の参考書があるわけでなし、外国語を学ぶのは大変な苦労があったに違いない。理不尽に立ち向かい、辛抱し、自分を磨いていく姿勢こそ、尊敬に値する。

私が無知ゆえかもしれないが、明治から、大正、昭和、平成と政治や思想などにおいて偉人と呼べる人がだんだん減っていると思う。理系の学問やビジネスの世界にはいるのかもしれないが、どうしても私心にまみれた輩が目立つ。官邸でアホなことをする息子まで登場した。日本は、まさに絶望的な状況である。

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