2021年10月10日日曜日

私家的 学校間格差拡大論

https://oku.edu.mie-u.ac.jp/~okumura/stat/170903.html
教育の目的は、国家の意思で決まる。どんな国民を育成するかという意思が教育行政を動かすのは自明の理で、綺麗ごとではすまないと私は思っている。

戦前の教育の目的は、「富国強兵」であり、「国民皆兵制」を維持するためにあった。よく生徒に話すのだが、国際理解教育学会で東大の先生に、明治最初の学制で「ハト・マメ・マス」の国定教科書が出たことは、東北地方の方言の矯正=軍隊での号令の標準語化だと明確に教えていただいた。さらに、教育勅語・軍人勅語などで、「天皇制下の臣民概念を強化」していったわけだ。しかし、一方で、東大法学部などでは「天皇機関説」が常識化しており、支配する側と支配される側の教育は分離していた。これは立花隆の「天皇と東大」からの受け売りである。このぶつかり合いが、美濃部事件であり、5.15や2.26である。やがて、支配される側の軍部が支配する側に回るわけだ。

戦後、そういう教育は全て否定された。GHQの民生局はニューディーラーであり、社会主義的なスタンスを取っていたがゆえに、アメリカの学制を導入し、最初は、理想論的・プラグマティズム的な教育論を振りかざしていたのだが、朝鮮戦争、冷戦などの状況変化の中で、「真面目な工場労働者の育成」が求められる。このころの表向きの教育のテーゼは、「平和教育と民主主義教育」である。

ちょうど私が小学校くらいの高度経済成長期では、真面目な工場労働者の育成という教育の基盤は同じだが、平和や民主主義は既成事実となったので、「人権」が次のテーゼとなった。詰め込み教育とか、いろいろ批判はあったが、まだまだ大学進学率は低かったし、資本主義の競争原理は健在であった。人権学習がテーゼになったのは、その反作用的な側面があるように思う。

やがて、高度経済成長は石油ショック後、終焉を迎える。安定成長から赤字国債の増大、内需拡大、円高、バブルと日本経済が迷走する中で、人権問題も大まか既成事実になった故にやがて「環境」にテーゼが変換されていく。公害問題や地球温暖化の世相にも大きく影響されただろう。さて、真面目な工場労働者育成の基盤はこのあたりから、ゆとり教育といった平均化に押し流されていく。特に義務教育の現場では、競争原理が薄れていくのである。

資源に恵まれない日本の生命線は、国際競争力を持った技術力である。よって、いくら平均化を貴んだとしても、理系の能力を磨く高等教育のシステムはある程度維持されていた。未だに、アメリカの高校と比べて日本の高校は数学が難しい。実際に視察に行って、数学の先生が、高校3年間でせいぜい数Ⅰレベルであることに驚いたことを情報共有していただいた。(アメリカの理系学生は大学で一気に数学的能力を開花させるようだ。アメリカの成果を見るとそれで十分なことが分かる。)それに対し、私が視察した社会科は、ディベートを始め、調べ、考え、発表するという能力の開発に力を入れていた。暗記主体の社会科ではなかった。こうして振り返ると、日本の教育の構造が見えてくる。数学で理系生徒を選別し、高等教育を施すこと。次に調査・思考・コミュニケーションは二の次で、理系以外は旧態依然の教育=真面目な工場労働者育成教育に甘んじる方向性である。

時代は21世紀になり、世界は国連の示したSDGsという方向性を共有している。これは、「環境」というテーゼの発展形として捉えることが出来る。このSDGsは、それまでのMDGsが途上国の問題だけを扱っていたのに対し、「先進国をも含む」こと、そこで「1人も取り残さない」という重要なテーゼが含まれていること、「経済・環境・社会(格差)のバランスを重視」していることが特に重要だと私は考えている。

先日、中学校の先生方と話をしていて、小中学校の学習指導要領はすでに改訂されていることを知った。高校は来年度改訂である。その先駆けとして、共通テストが大きな変革をしていることに再度気づかされた。教育の目的が、優秀な工場労働者から、AIをはじめとした時代の変化に対応できるような人材育成に変化しているということである。優秀な生徒は、大きく伸びるだろう。それに対し、おそらくついてこれない生徒も膨大な数にのぼるはずだ。理系だけでなく文系でも大きな生徒間&学校格差を生むことになるだろうと思うのだ。

社会科だけを見ても、1年生で学ぶ歴史総合、公共、2年生で学ぶ地理総合は、その象徴的科目である。教科書を見ると、学ぶべき内容はこれまで通りべらぼうに多い。それに、調べ、考え、発表するという能力の開発が付随している、いやそれが主眼である。文科省の期待するような学習は一部の優秀な高校のみで成立する。膨大な教科書知識を学び、それを駆使して思考力を磨ける生徒はそんなに多くないだろう。おそらく、ここでも、選別が行われる。これまでの数学による選別にプラスされていく。学校間格差はさらに拡大するだろう。

私立は当然、公立でも最近は、中高一貫校が増えている。すでに難関国公立大学や医学部に入るためには、そういうカリキュラムが必要不可欠になっている。学校教育が、国のものであることはどうあがいても否定できないし、私も文科省の意図するところは少なくとも間違っていないと思う。だが、学校間格差が大きく拡大するのは間違いないだろう。今、大きな変革期が押し寄せている。さて…。

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