2021年10月13日水曜日

内田樹 ポストモダン後の世界

http://ianpindar.blogspot.com/2010/11/in-memoriam-gilles-deleuze-18-january.html

内田樹氏の今回のアエラの巻頭エッセイは、なかなか面白いし示唆に富んでいると思う。

https://news.yahoo.co.jp/articles/2a08867adf10dbd8a51cf5dd283d6f63daf1e767

講演会で、「ポストモダン(近代国家成立以後=現在)以後の世界はどんな世界になるのか」という質問に対して、とっさに「近代以前に退行する」と答え、ふと腑に落ちたとのこと。

…ここで、内田樹氏はフランス哲学に造詣が深いので、ドゥルーズのポストモダンを意味していると思われる。それまでの近代国家の物語の基軸は、ロックやルソーの社会契約論が支持された故にホッブズの万人の万に対する戦いというプレモダン(近代以前)を超克したということと、内田樹氏は語る。だが、その物語の上に成り立つ社会は、所詮、人種、国籍、性別、新疆、階級、政治イデオロギーなどの虜囚となった近代人は主観でしか見れず、決して客観ではないことを自覚していると分析する。まあ、ドゥルーズのリゾーム論である。社会のコードが失われ、それ故に、節度を失い、公共財すら私財化していく、プレモダンに逆戻りするというわけだ。

…この退行過程は、私などはついつい中国共産党の姿にオーバーラップする。ロシアがウクライナからクリミアを奪った時、プレモダンへの逆行と言われた。南シナ海での覇道や一帯一路での経済侵略もまた同じ。歴史は繰り返すのか…。

0 件のコメント:

コメントを投稿