2018年8月30日木曜日

PBTの話(60) 運動会’2018

会場となったUPM(マレーシア・プトラ大学)
2年ぶりの運動会である。2年前の運動会の日に妻が来馬したのを思い出す。今年は、MBMRに分校が出来て、学生間のコミュニケーションに物理的な無理もあるので、各団のリーダーはF40だけで本校で決め、当日に競技参加者をミーティングで決め、競技説明もぶっつけ本番という運営方法だった。これは仕方がないと思う。ただし、我がF40Aのリーダーの女子学生2名は、事前に競技者を決めに各教室を走り回っていた。ちょっと嬉しい。
ラジオ体操第一をT先生中心に全員で行う/これも日本文化教育
私は今回も得点係である。やはり教師歴38年で体育祭はその数だけ経験しているわけで、一昨日得点集計のための書類をつくっていた。綱引きは今回8チームのすべてを順位づけするので、3回対戦する。ありがたいことに綱が4本用意されているので、同時に対戦が可能だった。ただし、男女8チーム×2あるので、なかなか審判は疲れるのだった。
障害物競走の二人三脚スタート F40Aのマラッカ三人衆のうち2人が敵味方に分かれて…
競技が終わって、かなり疲れが溜まっていたのだと思う。会場の大学に置いてあった決勝審判台に頭をぶつけてしまった。私は下ばかり見て歩く癖があって、久しぶりにガツーンと言ってしまったのだった。眼鏡も落ちたし、ちょっとびびったが、キャップのお陰で傷もなく、タンコブも出来なかったが、ちょっとショックを受けた。よく考えれば還暦も過ぎた私が、炎天下で運動会で走り回っている。ちょっと無理しすぎているのかと思ったのだ。自分の体力の限界を見た思いだ。

ともあれ、我がF40Aの学生達は、各団に別れ、リーダーを務めたり、副役職的にリーダーを支えたり、司会を務めたり、用具係として私の意を汲んで仕事を進んでやってくれていた。PBTをリードする存在であったと思う。ちょっと誇りに思っている。
蛇足だが、運動会開会前に軍の輸送機が編隊飛行していた。明日はマレーシアの独立記念日である。そのリハーサルであろう。今年は、KLのムルデカ広場ではなく、プトラジャヤで式典が行われるので、我がコンドの窓から去年のような編隊飛行見れるかどうかわからいので、ラッキーであった。

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