2015年11月4日水曜日

佐藤優・池上彰「新・戦争論」 Ⅱ

佐藤優・池上彰「新・戦争論」のエントリーを続けたい。教科書にはない重要な視点があるからだ。

イスラエルのネタニヤフ首相の官房長だった人物のある論。「国際情勢の変化を見るときは、肝値持ちの動きを見る。最近になって格差が広がったと言うが、昔から人口の5%の人間に富は偏在していた。冷戦の間は、共産主義に対抗するために、その5%の人間が、国家による富の再分配に賛成していたが、冷戦後はそういうことに関心をもたなくなった。今やその5%の格差がうんと広がり、ビル・ゲイツの資産はヨーロッパ諸国の予算を軽く上回っているし、アフリカ諸国のGDPより大きい。こんなことはかつてなかった。彼らは自分たちの儲けの半分を吐き出さないと潰されることを経験則でわかっている。そこで、自分たちのつくったファンドで、慈善基金という名で富の再分配をしている。ダイレクトに社会に富を還元するパイプをつくったわけだ。アベノミクスは、政府介入策だが、我々はあまり関心がない。金融政策や財政政策といったって、世界の富は、国家を迂回して動いている。」つまり、国家が空洞化しているという論だ。

…鋭い視点である。国家の空洞化。ドゥルーズが指摘していた、ポストモダンのコードそのものであるである。近代国家のリゾーム化。

また、彼はこんな論も。「世の中には、旧来型の戦争観をもつ国がある。戦勝の勝者には、歩留まりはいろいろだが、戦利品を得る権利がある。そう思っているのが、ロシアであり中国であり、イランだ。ウクライナもそうだ。民主主義国は、極力戦争を回避して外交によって解決しようとする。ところが、戦利品が獲れるという発想をもつ国は本気で戦争をやろうとする。すると、短期的には、戦争をやる覚悟をもっている国の方が、実力以上の分配を得る。これが困るところである。」こういうものの見方や分析は、なかなか活字にならないし、モサドやロシアの対外諜報庁、イギリスの諜報局などくらいしか出てこないらしい。佐藤優の言う、まさに新帝国主義の方程式であるわけだ。

…ASEANの国防相会議は、ついに共同宣言を見送った。中国の「仁」の無さには呆れるほどだが、これが新帝国主義の姿なのだ。もし、米軍が本気で怒ったら、一度は引くだろうが、またそぞろ埋め立てをするんだろうなあ。嫌な世の中である。本書の最後には、その嫌な時代に生きていることを認識することが説かれている。なるほどなあ、と思う。

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