2014年6月15日日曜日

国際理解教育学会 ’14 奈良

誰もまだ来ていない奈良教育大学
金曜日は、放課後バタバタしていて、今日の研究発表大会の関係書類を学校に置いたまま帰ってきてしまった。奈良教育大には何度も行っているし、問題ないと思っていたのだが、なんと開始時間が私の意識(9:00開始)と30分ずれていたのだった。だから6時に家を出たのだ。誰もまだいない会場で、タバコをすっていたら、前任校OBで現在教育実習中のG君が自転車で現れた。彼は今日のスタッフらしい。話をしていて、9:30開始だということを知ったのだった。(笑)…もう少し寝ればよかった。

今回の発表は、「W杯・日本対コートジボワール戦の開始まであと少しですのに、お集まりいただきありがとうございます。」と笑いを取って、始まった。しかし正直なところ、もう一つ上手くいかなかった。「イスラエル考現学」のスライドが多すぎたし、肝心なことをうまく伝えれなかった。歳をとったのか、弁舌も軽くなかったような気がする。ようするに疲れが溜まっていたのだった。

質問時間では、「19世紀までユダヤ教徒とイスラム教徒はうまく共存していたと主張する本を読んでいただきたい。」という、私が一神教を比較宗教学的に見ると多文化共生は難しいと思うという今回の発表の核心部分への批判がでた。共存していた事実は知っているし、そんなことは大前提である。この批判の「19世紀まで」というのがミソだ。その後、イスラムの経済的・政治立場は大いに減退し、欧米・キリスト教世界と経済格差が開く。だからこそ、イスラム原理主義が台頭するのだ。ただし、三宗教とも世俗派というか、信仰にあまり熱心でない人々の多文化共生は十分可能だと思う。この辺をもう少し語っておくべきだったと反省する。少なからずコトバ足らずだったと思うのだ。

ところで、私が発表した第11分科会での後の3本の発表は、どれも素晴らしいものだった。福島県の私立中学校のK先生の発表では、かなり先進的な取り組みをされていた。私が後でご本人に質問したのは、これから考えているという「パキスタンのマララさん」の問題についてだ。「中学生にどこまで説明できるでしょうかねえ。」と不安も口にされていた。私の一神教の話をよく理解していただいたようだ。たとえ優秀な中学生でも、かなり難しい論議になると思う。K先生とは、結局のところはこういう根本的な深い理解がないと、多文化共生を語れないということを確認し合ったのだった。

東京の国立大学付属高校のK先生の発表も、面白かった。外国人の刺青の話を題材にしてディスカッションされていた。マオリ族の顔に入れられた刺青のため、北海道の温泉に入れなかったケース。外国や日本の様々な刺青についての調査も含めて、緻密に実践されていると思った次第。

京都の日本学術振興会特別研究員のSさんの報告も面白かった。在日3世として教育学を研究されている中で、困難校を訪問しながら多文化共生教育をされている実践報告だった。プレゼンが極めておじょうずで、パワーポイントなしでも、ぐいぐい引き込まれていく。私文化という概念を教えてもらった。卵焼きの私文化。Sさんのご家庭ではごま油を使われていて、それが当然だと思っておられたようだ。それぞれの家に私文化がある。そこを糸口に生徒に迫っていくのだ。

私の発表はともかく、後の三本の発表は女性だし、さわやかで面白かった。最後に司会の東京学芸大のN先生から面白いまとめをしていただいた。「今日の4題の発表は、異文化への対応をそれぞれ分けて発表していただいたように想起しました。それを図にすると次のようになります。同情・差別・排除、そしてもうひとつは?です。以前、この図を使ってアクティビティをしたことがあります。皆さんは、この?に何を入れますか?」うーん。私は、「理解と共感」だと思う。それが、多文化共生の肝要だと思うのだ。

ところで、私の発表後少したって、着信とメールが携帯に届いた。(もちろんマナーモードにしてある。)「ゴール!」後輩の口の悪いI先生からだった。だが、その後、I先生からのメールはなく、日本がコートジボワールに敗戦したことを推測できたのだった。

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