2014年3月9日日曜日

「ヨーロッパ史における戦争」2

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「ヨーロッパ史における戦争」(マイケル・ハワード/中公文庫)、後半の構成は、第4章 専門家の戦争、第5章 革命の戦争、第6章 民族の戦争、第7章 技術者の戦争となっている。いくつか、戦争という視点からヨーロッパ史を見るとそうなるのか、という近現代史の話をエントリーしておきたい。

まず、日本の明治時代、陸軍がフランス式からドイツ式に変更になったことについて、その謎解きの話である。これは日本に限ったことではなく、他の大陸諸国も同様だったようだ。フランスが、攻撃主体のナポレオン以来のロマンチックな英雄主義であったのに対し、ドイツは参謀本部を設置しあらかじめ作成した作戦計画に基づき、主戦場には慎重に計画された鉄道網で兵士を派遣するという緻密な戦い方をとったのである。イギリスもアメリカも30年後にはこの方式に転換していく。いわば世界的標準だったわけだ。

国民皆兵制度によって、ヨーロッパの政治地図が変換された話。将校は貴族階級だけでは供給不可能になったのである。19世紀末までに、ヨーロッパ社会は軍国化された。これは、多くの一般市民が軍事訓練を受けたことを意味する。このことを期待をもって見守っていたのが、エンゲルスであった。エンゲルスは、当時としても熱心で鋭い軍事評論家でもあったらしい。来るべき革命のための前兆であるとしていたのだ。

ところで、労働者階級がマルクス・エンゲルスらの社会主義の刺激を受けたのと同様、国家教育、合法化された強力な労働組合、さらに最も重要な安価で扇動的な新聞が、ナショナリズムを高揚させたという。…なるほど。さらにこの両者を混ぜ合わせられる者が最も成功した政治指導者になったのだ、と。…さらになるほど。

「デモクラシーとナショナリズムとは互いに養分を与え合っていた。国事への参加意識が大きければ大きいほど、国家は国家を生み出した唯一無比の価値体系の具現化だと見なされるようになり、国家を守り国家に奉仕する責務はいよいよ大きくなった。その上、組織宗教の力が低調になってきた時代には、民族が人々の忠誠の焦点として現れてきたのである。」(P180)…この文章、日本の近現代史と対比してみても、よくわかる気がする。

結局ナショナリズムを嫌ったのは、最も伝統的で保守的なヨーロッパの王族であり、WWⅠ後、彼らは事実上絶滅するのである。

WWⅠで、ドイツはイギリス海軍に対抗するカタチで、外洋にまで進出できる潜水艦を使う。ただ、当時の海軍の主な役目は、商船を停戦させ、軍事物資などの搭載を確認するという役目(捕獲法という国際的な法律があった。)が主であった。しかし、潜水艦は、それができない。自ら姿を現せば脆弱である。当然、捕獲法もクソもなく無差別攻撃を行うことになる。これが、アメリカの参戦を生む。ドイツも、そのリスクをよくわかっていたようだ。(P202)よく、教科書にある「潜水艦による無差別攻撃」の真の意味はそういう、掟破りの戦術だったということなのだ。

WWⅡでは、相手国の基地だけでなく、工場さらに市街地を無差別爆撃するが、総力戦となり、戦争を遂行する「銃後」の市民に重心が移っていった故である。。敵国民に直接耐えられない負担を課すことが有効。それが、無差別爆撃の理論なのだそうだ。(P206)…なるほど。戦争論から見ると、そうなるわけだ。

翻訳なので多少読みにくさはあったけれど勉強になった一冊だった。

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