2014年3月28日金曜日

木村政彦の評伝を読む 下巻

木村政彦の評伝・「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(増田俊也・新潮文庫)下巻は、プロ柔道の失敗後、師・牛島から離れ、プロレスへ向かう展開となる。妻の治療費を稼ぐためである。日本プロレスの黎明期の話でもある。力道山の話も極真空手の大山倍達の話も、グレイシー柔術の話も出てくる。
同時に、「アングル」というコトバも登場する。要するに興行を盛り上げるための作り話・嘘なのだが、こうしてみると、「空手バカ一代」や「プロレス・スター列伝」などの漫画の話は、ほとんど創作らしい。北大柔道部出身の著者・増田氏のこのノンフィクションは、真実をひたすら追い求めているので仕方がない。どんどん嘘がはがれていく。ちょっとがっかりだが、私は基本的に昔の”プロレスの味方”なので、そういう物語は物語として楽しみたい。この辺の事をあまり詳しく書くのは、書評としては悪趣味だと私は思う。それより、下巻の後半に、拓大柔道部に復帰した木村政彦が、師弟関係を岩釣兼生と結んでいくところがすこぶる感動的だった。

岩釣兼生という人物もサムライである。凄い。1回生の頃の師への想いに泣けるし、主将になってからの話も凄い。休養日に映画を見に部員たちとバスに乗っていたら、ライバルの明大の選手が雨中走っているのを岩釣は発見する。即座に部員全員をバスから降ろし、合宿所に走って帰り練習をさせるのだ。まさに、鬼の木村の指導そのものである。拓大では、夜中にこういう緊急練習があったらしい。木村は武術家の心がけとして、こういう指導を行っていたという。こういう指導下、ついに拓大が大学柔道の頂点に立つのだ。

岩釣は、鬼の木村のまさしく弟子である。師に惚れ込み、師の敵を討とうとする。師の敵とは、”プロレス”の約束をしながら、セメント(真剣勝負)で木村をKOした力道山である。力道山はすでに死去していたので、後継者・ジャイアント馬場を狙うのだ。そのために、柔道だけでなく、サンボ、空手、ボクシングなどあらゆる武術を師と共に特訓し極める。結局、契約時に大喧嘩してしまい、全日のリングに上がることはなかったが、木村の目指した立ち技も寝技も、打撃も鍛えに鍛えた柔道家だったといえる。

ところで、東京五輪の際、無差別級のへーシングに47歳の木村を当てるべきだという意見もあったらしい。実際、拓大に稽古に来たソ連の銅メダリストとなる選手たちを寝技で子ども扱いしていたらしい。全盛期の強さはどれほどだったんだろうと思う。

また、木村が師・牛島の危篤に際して、駆けつけなかった話も凄い。「俺は行かない。」と目に涙をためながら木村が言う。師は、弟子に弱った姿を見せたくないだろうと木村は考えたのだ。危篤を伝えた岩釣は納得する。

師弟関係というのは、かくも厳しく崇高なものだと教えてくれる。私には、プロレスや格闘技にまつわるオモシロオカシイ真実より、男と男の真実に感激した一冊だった。

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