2014年3月29日土曜日

京大アフリカ公開講座'14 3月

”サクラサク”の京大稲森財団記念館
実は、アフリカ学会の公開講座が3月15日にあったのだが、失念してしまった。次は4月と思い込んでいていたのだ。先日、教科書販売の日を忘れていた2年生の生徒(5組ではない)がいて、「何してんねん。全く。」と言っていたのだが、そのコトバ、私にも降ってきた。(笑)あーあ、である。気を取り直して、今日の公開講座にのぞんだ。今日はアフリカ学会ではなく、例の「アフリカの潜在力」(2月26日付ブログ参照)についての講演会である。

まずは、東大の遠藤貢先生から、「アフリカの紛争の現在(いま)を考えるために」と題して、国際政治学の立場から、アフリカの紛争の現状を概説いただいた。先生のお話の中で、私が特に印象に残ったことを2点挙げておきたい。1つは、紛争現象の変容と多様化という中で出てきた「R2P」(Responsibility to Protect:保護する責任)という概念である。自国民の保護という基本的な義務を果たす能力や意思のない国家に対し、国際社会が保護する責任を持つというもので、リビア内戦がその第一号となったことである。このリビア内戦の後、サヘル地方にリビアから帰還した人々によって、イスラム勢力に活性化と武器・弾薬の流入などが起こり、アフリカ全体に大きな影響が出たわけだ。その中心は、私のブログでも何度かエントリーしているが、ナイジェリアのボゴ・ハラムと、ソマリアのアル・シャバーブであるわけだ。
ポリオ野生種の拡散状況(2013年) 遠藤先生のレジュメの資料の出処を確認したもの
http://sphweb.bumc.bu.edu/otlt/MPH-Modules/PH/Polio/Polio_NEW5.html
その2が、この両勢力の奇妙な繋がりである。もちろんこれを直接的に証明することは難しいのだが、意外な資料から明らかになるのである。それは、ボゴ・ハラムの拠点、ナイジェリアの北部にしか存在しないポリオの野生種の拡散状況(2013年)という、保健医療のデータである。これは凄い。アル・シャバーブの拠点、ソマリアの南部に拡散(遠藤先生に確認したところ、発症した数をドットしているものだそうだ。)、さらには、アルカイーダとの拠点とされるアフガンとパキスタン国境、さらに内戦中のシリアにも拡散しているのだ。衝撃的な資料だった。

次に、毎日新聞記者の高見具成氏の「アフリカの紛争現場で感じた、つながること、つなげて考えることの大切さ」の講演である。この3ヶ月、このアフリカの潜在力についてずっと考えてきました、とのこと。学問的な話ではなく、現場取材の中で感じたことを話していただけた。まずは、南アで流された2つのTV・CMを見せていただく。1つ目は、ファーストフード店のジンバブエのムガベ大統領を揶揄したもの。無茶苦茶おもしろい。(以下のページで実際に見れます。)
http://www.nicozon.net/watch/sm16407086
高見氏によると、このCMを南アで見たジンバブエ人は、やばいと感じ、母国のこのチェーン店は閉鎖されると直感したらしい。(笑)少なくとも、このCM、3日で放映打ち切りとなったそうだ。(笑)アフリカには、日本などより、豊かなユーモア感覚があると、高見氏は言う。もう1つのCM(WEBでは、ちょっと探し出せなかった)は、銀行のCMで、黒人の少女がスタジアムで国歌を歌うのだが、途中でつまってしまう。そばにいたオーケストラの白人女性が歌いだし、観客全員が歌うことで少女を助けるという内容。南アでは、こういう人種間の共生を訴えるような話がいくつかあるそうだ。ラグビーとサッカーのW杯は、かなりこれを促進したという。また、南アでは公用語が11も設定された。違う民族が、相手の民族語で挨拶したりすることが日常的に行われ、ずいぶんと融和してきているという。そもそもマンデラ氏が、収監中にアフリカーンス(南ア在住のオランダ系白人=アフリカーナの言語:アパルトヘイトは、英国系白人ではなく、被支配層だった彼らが主導した。)を学び、それを使ったことから始まっているというのだ。なるほど…である。他の民族に自民族語を使って挨拶されたら、思わずブラザー化するのだという。高見氏自身、アフリカ的握手を日本で思わずしてしまい、ついつい彼らとブラザー化するのだという。(私もような同じ経験を何度もしている。)こういう精神的な共生の可能性こそが重要ではないかというのが、高見氏のスタンスだ。

さらに、物質的な可能性として南スーダンでの体験、あるいはアフリカ系のオバマ大統領の登場について、大陸を越えたニュー・汎アフリカニズムの話、南アの黒人ワイン醸造家などの話などを語っていただいた。最後に、現在は東北に拠点を置いて、被災地を取材している高見氏は、こんな話をしていただいた。(趣意)
「アフリカの紛争は困難と繋がっているように感じる。(日本でも)近代化の中で”東北”が作られ、震災で(そのことが)白日にさらされたような気がする。東北をアフリカに置き換えれば、東京が欧州に置き換えられる。エネルギーや人材などの供給地と消費地である。震災の当日、私はリビアにいた。TVでは、津波と内戦の映像が交互に流れていた。(明日死ぬかもしれない)リビアの兵士が、日本は大丈夫か?と心配してくれた。そして、日本は大丈夫だよな。日本はヒロシマやナガサキから立ち上がったんだから、と言われた。震災後、日本は利他的な精神が日本全体にあふれた。それは、ゆるやかに生きているアフリカにもある。誰でも受け入れ、また出て行く者も拒まない。今のアフリカは近代化、欧米化の中で息苦しさを感じる。これらのおかげで、まだまだ潜在力が引き出せてないと思う。アフリカと東北を比較してみると、ある共通点を発見した。親を亡くした子供たちを(他者が)育てるということである。この圧倒的な母性愛こそ、最も大きな潜在力だと私は感じている。」
高見氏は、決して話はお上手ではない。服装も皮ジャンという極めて素朴なものだった。だが、そのアフリカや東北を見る目は優しさにあふれていたのだった。

本日も講師の先生方、京大のスタッフの皆さんに、貴重なお話を聞く機会を与えていただきました。心からお礼申し上げます。

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