2014年3月5日水曜日

毎日 内田樹 反知性主義批判

http://blogs.yahoo.co.jp/
moritax01/35887877.html
毎日新聞では、「保守と歴史認識」という連載があり、いろんなオピニオンリーダーが登場して論を張っている。第4回目の今日は内田樹氏であった。内田樹氏の論は実に興味深いので、エントリーしておきたい。

まず中韓との関係について、「長い歴史がある隣国であり、これからも100年、200年にわたってつきあっていかなければならない、という発想が欠けている。安部政権は外交を市場における競合他社とのシェア争いと同じように考えているのではないか。中国や韓国と領土の取り合いと経済競争におけるシェアの取り合いは次元が違う話だということを理解できていないように見える。」

米国との関係について、「沖縄の普天間移転先について知事と話し合いがついた直後に靖国参拝が行われた。米国に貸しをつくったので今度は米国が嫌がっていることもできる権利が発生したと考えたのだろう。米国を市場における取引相手のように見る、その実のなさが米国を不安にさせ、いらだたせている。」

短期的な発想について、「民主制は政策決定にむやみに時間がかかる。時間がかかるわりに集団全員が決定したことの責任を引き受けなければならない。誰かに責任を押し付けることができない。それが民主制の唯一の利点だということを首相はたぶん理解していない。そのような政権運営を可能にしているのは国民的規模の反知性主義の広がりだ。」

教養とは、一言で言えば、他者の内側に入り込み、他者として考え、感じ、生きる経験を積むことだ。死者や異邦人や未来の人たち、自分とは世界観も価値観も生活のしかたも違う他者の内側に入り込んで、そこから世界を眺め、世界を生きる想像力こそが教養の本質だ。そのような能力を評価する文化が今の日本社会にはなくなっている。

「どこの国のリーダーも立場上言わなければいけないことを言っているだけで、自分の本音は口にできない。その切ない事情をお互いに理解し合うリーダー同士の目配せのようなものが外交の手詰まりを切り開く。相手の事情に共感するためには、一度自分の立場を離れて。中立的な立場から事態を見渡して議論することが必要だ。先方の言い分にもそれなりの理があることを相互に認め合うことでしか外交の停滞は終わらない。」

「外交でも内政でも、敵対する隣国や野党に日ごろから貸しをつくっておいて、ここ一番の時にそれを回収できる政治家が必要だ。見通しの良い政治家は譲れぬ国益を守りきるためには、譲れるものは譲っておくという気遣いができる。多少筋を曲げても国益が最終的に守れるなら、筋なんか曲げても構わないという腹のくくり方ができる。大きな収穫にはまず先に自分から譲ってみせる。そういうリアリズム、計算高さ、本当の意味でのずるさが保守の知恵だったはずだ。それが失われている。最終的に国益を守りきれるのが強いリーダーであり、それは強がるリーダーとは別のものだ。」

…内田樹氏のレトリックは無駄がないので、なかなか省けるところがない。私などが賛意を示してもどうということはないが、内田樹氏のスタンスには強い親近感を感じる。先日エントリーしたように、最近の政治の動き、私は「感情的」で「子供のケンカ」のような印象を受けている。それが、内田樹氏のレトリックを借りれば反知性主義の広がりであるわけだ。それは政治家(同時に国民)の教養の欠如とも言い換えることが出来る。

…周恩来首相を私は個人的に尊敬しているが、極めて教養人であった故である。様々な害悪をまきちらしたとはいえ、毛沢東にしてもしかり。歴史を熟知し、詩を吟じる東アジアの政治家の教養はどこへ行ったのかと思う。鄧小平が尖閣諸島の問題を棚上げしたのは、まさに上記の真のリーダーであったからだろう。

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