2013年4月14日日曜日

ブルキナのマイクロファイナンス

昨日の講演会の後で、『ZAIRAICHI』という研究誌を重田先生からいただいた。若手の研究者を育成するための雑誌であった。重田先生の「刊行によせて」によると、この研究誌のタイトル『ZAIRAICHI』は、「在来知」を意味するそうだ。「人々が自然・社会・環境と日々関わる中で形成される実践的、経験的な知」を意味する。これは伝統知と近代知、科学知といったこれまでの知では捉えきれない知である。さらには、開発学と人類学の対立を止揚する概念でもある。しかも、グローカル(global+local)な文脈でフィールドワークから導かれるといった研究方法をとるとのこと。

私は京大のアフリカ地域研究資料センターの、単なる文化人類学的なスタンスから脱して、持続可能な開発の視点をも併せ持ち、同時に地域研究とグローバルな視点の止揚を図ろうとする研究のスタンスをいつも素晴らしいと感じている。以前(2010年4月29日)、『コンゴのオナトラ船と「猿」論争』というエントリーで論じたように、往々にして伝統知を正義とする文化人類学と、近代知・科学知を正義とする開発学は対立する。私は、開発側からアフリカ研究(所詮市井の高校教師なので、研究というほどではないが…。)に入った。だが、文化人類学の研究は、近代知・科学知を超克すると思っている。開発経済学が目指す(アフリカにとっての)豊かさとは、近代知・科学知だけで測ることはできないと常々思っているのだ。京大の皆さんのこういう研究に大いに期待している次第。

さて、今回いただいた創刊号には5本の論文が掲載されていた。創刊号の大きなテーマは、「アフリカにおける社会的な性差を基盤にした知識や技法を理解するためのあらたなアプローチ」である。以前公開講座で、エチオピアの土器づくりを講義していただいた金子先生が、ジェンダーを中心に研究したものはほとんどないが、必ずフィールドワークの中で研究者はジェンダーにまつわる経験をする旨を書かれている。と、いうわけで今回は、この5本の論文のうち、神代ちひろさんの「ブルキナファソ農村地域における女性住民組織によるマイクロファイナンス運営」について、感想を述べておきたい。

この論文は、ブルキナの北西部のパラコ村、(ブワム語を使うブワ人:人口は約3000人)でのフィールドワークの詳細な報告である。ブルキナでも女性住民組織を中心にマイクロファイナンス(MF)が利用されている。これまでの研究の多くはある特定のMFを実施する機関(MFI:政府系、商業銀行、MF専門銀行、信用金庫、共同出資型組合、NGO/NPOなど)からの目線で、アウトリサーチ的な分析に留まっていた。それに対し、この論文では、MFIを利用する側からの目線で、そのMFI活用と、その後MFIの介入を嫌い自己資金でMFを運営する能力を得た人々の研究である。
調査対象の女性住民組織はハナーミ(何かを作り出す意味)と呼ばれる、村に13ある組織の1つである。(この数は、隣村が2しかないことを鑑みるとかなり多い。)現金収入を得る為の菜園づくりを目的に、1997年の設立時のメンバーは37名。現在は30歳代を中心に54名に増えている。最初は、様々なMFIから融資を受けており、返済期間や利子率などをめぐり交渉を重ねてきた。やがて、自主運営のMFも行うようになる。「健康のおかね」という老後のための貯蓄(毎月500CFAだから100円ほど)を会費とし、この貯蓄金がクレジットに運用されている。ハナーミは、MFIとの折衝経験の中で、会費や返済金の集め方、さらに貸付・記帳の仕方などを習得したらしい。神代さんは、それを可能にしたのは次の3点だと結論づけている。1.ハナーミの自律性の高さ。2.MFを運営できる技術の定着。(書記の継承もうまく行われている。)3.個人の会員がきちんと借入金と利子を返済している事実である。

私が大きな関心を寄せたのは、次の記述である。「就学歴があるのは会員の3割。識字教育を受けた経験者は4割。幹部11名のうち、3名に就学歴があり、書記と代表のみ公用語の仏語を習得。」
…ブルキナファソは、最貧国のひとつで、HDIの順位も極めて低いのだが、それは1人あたりGDPの問題ではなく、就学率と保健衛生の数値が低いからなのである。特に女性の就学率・識字率は低い。だが、このハナーミのように、仏語を扱える人材さえいれば、誠実で人柄の良いブルキナべ(ブルキナ人)なら、マイクロファイナンスの自主運営まで出来るわけだ。

…私はその事実が嬉しいし、ブルキナの教育改革に頑張っているゾンゴ氏との対話を思い出した。ゾンゴ氏はJICAのスマッセという理数科教育のプロジェクト全体のカウンターパートであった。若いが視学官という高級官僚で、来日経験もあった。JICAの専門家に通訳していただきながら、様々な話をさせていただいた。彼がこの研究成果を知ったら、たとえ嬉しくとも無表情で、また様々な思索をしつつ、これを教育政策に生かすだろうと思う。

彼は、ブルキナの未来を教育で拓こうと懸命に仕事をしていた。彼のコトバには、儀礼も愛想もなかった。全てが箴言であった。世界でも最底辺の教育状態を脱することに全てを捧げている懸命さが伝わる。本当に信用できる人物だった。彼が存在しているだけで、ブルキナの未来は決して暗くないと私は思っている。

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