2013年4月13日土曜日

アフリカ学会 公開講座4月

たんぽぽと京大稲森財団記念館
アフリカ学会創立50周年記念の市民公開講座『アフリカ研究最前線:アフリカ、その魅力と可能性』第二回は、京大理学部のゴリラ研究の第一人者・山極寿一先生の「アフリカの自然が作った人間」である。今日は前京大アフリカ地域研究資料センター長の重田先生が司会に立たれ、院生の時、山極先生がゴリラ研究の為に初めてアフリカに旅立たれるのを見送られたとの話をされていた。なんか、すごくいい感じで始まったのだった。

さて、毎回のように京大の公開講座や講演会に行かせていただいて思うのだが、先生方の語られる質が高いのはもちろん、伝えようとされる量がどうしても制限時間というキャパを越えてしまうことが多い。私どもとしてはありがたい事なのであるが、本日の山極先生の場合、質・量とも特にハンパではなかったといえるだろう。山極先生は理学部の教授であられるし、理系らしく手際良く論点を進めていかれる。しかも切り口が剃刀のように鋭い。何度か私のブログで引用している外山滋比古先生の『思考の整理学』には、「講義や講演を聞いて、せっせとメモを取る人が少なくない。(中略)めったにメモをとらないことだ。ただぼんやり聞いていると、大部分は忘れるが、本当に興味のあることは忘れない。」などと書かれている。本当は、外山先生の指導よろしく、ぼんやり聞いてみたかったが、なんのなんの、あまりの質と量の快刀乱麻さに、メモしきれなかったというのが今日の実感である。(笑)

講義の最大の論点は、「なぜ、人類はアフリカを出たのか。類人猿はアフリカを出れなかったのか。」である。類人猿とは、チンパンジー、ゴリラ、オラウータンを差す。最もヒトと祖先が近い猿である。その最大の原因として、共に居住していた熱帯林と、地球の寒冷化(乾燥化)という自然環境の変化が挙げられる。山極先生は、物凄いスピードで、熱帯林の状況や、そこで得る食物環境、鳥類や植物の様々な着目点を語られた。
で、私がぼんやり聞きながら、メモしていて興味を抱いたこと。それは、一般の猿と類人猿の食の構造の相違という問題である。ニホンザルなど、一般の猿は強者の論理で食べる。つまり、弱者が食べ物を見つけても強者に横取りされるのだ。それに対して、類人猿はヒトも含めて強者は弱者に分け与えるのだという。この類人猿の食の構造が「共感」というコミュニケーション能力を彼らに与えたのではないかというのだ。無茶苦茶面白い話ではないか。

もうひとつ、脳と消化器のトレードオフという問題である。類人猿の中でも、ヒトは二足歩行するとともに、他の脅威となる動物から身を守るために、家族主体でありながらも社会的集団行動をも、取るようになった(互酬性)。また多産化し種の保存の強化を推進したらしい。そんな中で肉食と、火の使用で、植物を主に食する他の類人猿と異なり、消化器が小さくなり脳が発達したのだという。それだけ栄養をうまく享受できるようになり、そのあまったエネルギーを脳に使えるように進化したというわけだ。この脳の発達でヒトはホモ=サピエンスとなり、やがて言語を発明していく。瞳もまた、ホモ=サピエンスだけが、白眼を持ち言葉とともに目でコミュニケーションを図れるようになったという。こういう進化によって、アフリカの寒冷化(乾燥化)に際して、熱帯林を離れることが可能になったのだという。…なるほど、なるほどである。

その他にもゴリラの面白い子育て論やヒトのみが有する子供期や青年期の解説などを語っていただいた。それだけで、いくつエントリーできるやもしれぬほどの質・量である。(笑)最後に、一番記憶に留めておきたいことを記しておきたい。それは講義後の質問タイムでの回答の1つである。

山極先生は、この時、現代への警鐘を語られたのだ。「猿の世界(強者の論理)のほうが、ある意味では効率的である。現代社会は、類人猿のface to faceの食のコミュニケーションをITなどの発達で失いつつある。これはまさに人間性の崩壊ではないか。」

…まことに同感である。私は完全文系人間なので、今日の講演は正直苦手意識を持って臨んだのだが、ホント面白かった。ゴリラの研究から人間性の真価を問う…。最高の学識に接したが故に感じた面白さだと思う次第。

山極先生、重田先生、京大アフリカ地域研究資料センターのスタッフの皆さん、今回も本当にありがとうございました。

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