2010年3月16日火曜日

JEWYORKな話 その1


 NYCひとり人旅で、様々な出会いがあった。その最大のひとつが、シナゴーグ(ユダヤ教の教会)への突入である。このシナゴーグは、ブラブラとミッドタウンを歩いている時に偶然見つけたものだった。ガイドブックの詳細な地図によるとシナゴーグの記号がついていたので気付いたくらいで、一見すると十字架のないプロテスタントのどこかの宗派の教会という感じだった。<今日の画像参照>土曜日なので、ユダヤ教の安息日であることは認識していた。入ってい見たいなと思って、ボーと立っていると、中から青年が出てきた。不審人物と思ったのだろう。私はサバイバル米語を駆使して、ユダヤ教を研究している日本の高校の社会科教師であることを訴えた。彼は、「ちょっと待って。」と言って、老人とともに戻ってきた。老人は、「入っていいよ。」と簡単にOKしてくれたのであった。
 今思えば、このシナゴーグは、改革派(ユダヤの律法を厳格に守ることよりも米国市民として普通に暮らすことを重視する)だったと思われる。礼拝に際して、キッバ(入口にレンタルのユダヤ教徒の帽子を入れたカゴがあった)を被れと指示されたくらいで、あとはフリーだった。礼拝では、子供たちの入信の儀式をやっていた。中央には、トーラー(モーセ五書が書かれた巻物)が何本か見える。ただし、装飾は館内も含めて極めてシンプルである。キリスト教教会のように讃美歌も歌う。見開きで、ヘブライ語と米語で書かれているが、米語での合唱だった。私は、シナゴーグの礼拝に参加できたことに感激していた。貴重な体験であった。
 礼拝終了後、私は黒人女性を見つけた。極めて不思議な光景ではあるが、ユダヤ教では母親がユダヤ教徒であることが条件である。父親が黒人であっても母親がユダヤ人であれば良いのである。彼女は、このシナゴーグのボランティア・スタッフなのであろう。スムーズな退場を指示していた。私は、集った人々の奇異の目にさらされながら、彼女と話す機会を待った。ちょっうど、当時大阪市がオリンピック招致を目指していて、綺麗なバッチを作っていた。私はそれを数個手に入れて、お土産用に持っていた。彼女にそれをあげたら、大喜びして、さっそく自分の服に着けてくれた。「お礼に、あなたを素敵なところに連れて行ってあげるわ!」と私を階上の部屋に導いたのである。そこは、このシナゴーグの長老たちの朝食会ともいうべき場所だった。
 ユダヤ人の老人たちは、私のサバイバル米語自己紹介を聞き、大いに喜んだ。私は、ここにくる何日か前にNYCでもメジャーなエマニエル・シナゴーグに行ったこと。ユダヤ博物館にも行ったこと。そして明日ワシントンD.C.のUSホロコースト博物館に行く予定であることなどを述べた。すると、老人たちは、興奮して私にユダヤのイースト菌の入ってないパン(すこぶるマズイ)と、赤ワインを勧めてくれた。朝食後時間が経っていなかったので遠慮したかったが、断るのが非常に難しいくらい、激しく勧めてくれたのだった。もし、私の米語が堪能なら、いろいろな質問をしたかった。しかし私のサバイバル米語は矢尽き倒れたのであった。次の予定があるので…と、引きとめる老人たちを尻目にシナゴーグを去ったのである。最後に私は、彼らに謝意を述べ、唯一知っているヘブライ語でこう言ったのであった。「シャーローム」…老人も黒人女性も心から感激してくれたようだった。

2 件のコメント:

  1. 旅行へ行くにはパスポートの次に知識が大事ですね。旅行先の知識もそうですし、相手の質問に答えられるだけの自国の知識も。英語も話せた方がはるかに密な関係ができますし、なんだかんだ言って大事ですね。ただ全然上手くないのに中途半端にしゃべれると私のように騙される可能性があるのでそれも気をつけないといけませんが。
    あとは意外にダンスと歌wダンスは日本人が特に苦手(私も盆踊りしか踊った経験がない)なのでただ腰を動かすだけでもぎこちなかったです。

    返信削除
  2. 全く御説通りですね。ただあえて何も知らない白紙状態で行ったこともあります。JICAのケニア研修の時は、わざと何も調べませんでした。それはそれで良かったと思います。

    返信削除