2010年3月20日土曜日

学位授与式と同志社の構造


 今日は、愚息の学位授与式であった。行くつもりはなかったのだが、愚妻が「(同志社に行くのは)最初で最後になるかもしれないし…。」と言うので、それもそうだ、学生時代今出川通りの前は何度も走ったが、入ったことは無い。今出川キャンパスとはどういうところか見てもいいなと思ったので、なんとなく親バカっぽくて私の美学に反するが、行ってみた。<今日の画像は、総長、学長をはじめ先生方が壇上に並ばれた瞬間である。>
 
 気付いたこと・その1。十字架など、キリスト教的装飾は一切ない。讃美歌の合唱(パイプオルガンが演奏される)や、神学部の牧師さんが、聖書の一節(マタイ伝の種子の話)をされたり、キリスト教的ではあるが威圧感がない。形式主義的でないと言い換えてもいい。
 気付いたこと・その2。学位授与式らしく、ローブをまとった先生方の姿がアカデミズムというか、元英学校という伝統故か、しっくりとはまっていたこと。うまく言えないが、外国文化の模倣ではなく、ちゃんと消化している感覚といってもいい。 
 気付いたこと・その3。伝統ある大学とは、こういうものか、という感銘を受けたこと。学長のスピーチで新島襄の話が何度も出てきた。それも素直に入るような、説教くさい話ではないこと。長い伝統の中で育まれた”かなり完成された同志社イズム”を感じた。

 極めつけは総長のスピーチだった。「個人主義」について述べられたのだが、私は心の中で膝を打った。私の考える「自由論」そのものであった。総長のスピーチを極めて簡単に要約すると、今の日本に必要なのは、自己の責任を全うする覚悟を基盤にすえた自由である。これこそ同志社の個人主義なのだということだった。 なるほど。新島襄という人もそうであったし、同志社もそうであった。ちょっと同志社の「個人主義的構造」について考えてみる。
 3月11日のブログで少し触れているのだが、「個人主義」という概念は、近代国家論において最も重要な概念だと私は思う。その基盤をつくったのは、まぎれもなくプロテスタンティズムである。その総本山的な同志社で、聞くべくして聞いたスピーチだと言えるのだが、私の学生時代、同志社というのは、極めて変わった存在だった。
 私の年代は、俗に言う70年安保で揺れた世代から、シラケ世代の変わり目にあたる。その頃同志社は、まだ新左翼が学内を握っていた。新左翼というのは、反帝(帝国主義)反スタ(スターリニズム:スターリン主義=日本共産党の既成左翼、同時に親トロッキズム:トロツキーの世界同時革命主義の意味を持つ)で、くくれる新しい左翼運動のことである。かなり複雑に分裂していた。有名なのは中核派とか革マル派とか、社会主義協会系の社青同とか、ブントとか…。私は、学生運動にコミットしなかったので、直接関わっていないが、その頃の同志社は、まだ新左翼が頑張っているのか?という感じだった。連合赤軍が浅間山荘事件を起こし崩壊し、新左翼はその頃は成田闘争(成田空港反対闘争)くらいしか戦う場をもっていなかった。かなり浮いていたのである。(この頃のことは、佐藤優の「私のマルクス」を読むとよくわかる。佐藤優は私より少し年齢が下であるが…)なにか、今日学位授与式に行って、その謎が解けたような気がした。
 「ああ同志社ならありうるな。」と感じたのである。自由なのである。個人主義なのである。責任を持てるのなら何をやってもいい、という学風。そのルーツは新島襄にある。…でないと、あんな変わった奥さんを娶らないだろう。

 だいたい、キリスト教の神学部なのに、ユダヤ教やイスラム教の研究で修士の学位をホイホイとくれるのである。その同志社の「個人主義的構造」や、良しである。

2 件のコメント:

  1. そういえば私も同志社に行ったことがありますが、宗教色は全く感じられなったですね。同じプロテスタント系でも関学とは雰囲気が違います。
    ちなみにkatabira no tsujiさんは当時、学生運動をどのように捉えていましたか?私たちの生活にはイデオロギーと接する機会が少なすぎて逆に「~すべきだ」論が通用しているのかと思うので、左翼運動も善し悪しなのかもしれません。

    返信削除
  2.  極めて難しい質問ですねえ。当時の私は、社会思想にものすごく興味があったし、いわゆる民青(日本共産党系の青年組織)の友人もいたし、新左翼系の友人もいました。しかし、議論してもかみ合わなかったですね。私は社会思想と個人の実存的な部分の止揚の両面が必要だと思っていたので。ただ、スタンスとしては、新左翼の学生運動を批判的に見ていたわりに、同じ純粋な若者としてのシンパシーは持っていました。うーん歯切れが悪い解答であると思います。

    返信削除